日本のエースが、悲願の金メダルを獲得した。女子500メートルで小平奈緒(31=相沢病院)が36秒94のオリンピック(五輪)記録で優勝した。日本人で同種目を制したのは98年長野五輪の清水宏保以来2人目で女子初の快挙。31歳での優勝は冬季五輪の日本選手団で最年長となった。2シーズン前から24連勝中の得意種目で、1000メートル銀に続く2個目のメダル獲得。大舞台で低地の世界記録を更新し、最強スプリンターであることを証明した。連覇中の李相花(韓国)は0秒39差の2位。郷亜里砂(30)は8位。神谷衣理那(26)は13位だった。

 待ちこがれた頂点からの景色は、涙でかすんでいた。小平は、歯を食いしばりコーナーを回った。その目には、金へとつながる道が見えていた。36秒94。誰も出したことがない低地での36秒台。2組を残し、両拳をぐっと握りしめた。「これで負けたらしょうがない」。5分23秒後に待っていた金メダル。「作り上げてきた滑りを36秒に集約できた。周りがなにも見えないくらいうれしかった」。両親らがいる観客席を見渡し、また泣いた。「すべてが報われた」。最高の喜びとともに頭を駆けめぐったのは、ここまでの長い道のりだった。

 清水宏保氏、岡崎朋美氏に憧れた小学生時代。氷の上が最高の遊び場だった。リンクの閉園15分前、「蛍の光」が流れる中で1人で滑る時間が何より好きだった。父安彦さん(62)にトップ選手が出る大会に連れて行ってもらうと、胸を躍らせた。ソルトレークシティー五輪1万メートルで4位に入った白幡圭史氏の音のない美しい滑り。「忍者みたい!」。その動きを目に焼き付けた。速さへの探求心は、誰もいない道でも歩ける強さにつながった。

 高校時代、実業団からの誘いを断り、信州大への進学を決意した。清水氏を教えていた結城コーチの教えを受けるため、猛勉強の末に狭き門を突破。「滑りを変えないと世界では戦えない」。同コーチの厳しい言葉がさらに意識を高めた。長野の山中にある極寒の屋外リンク。氷は荒れ、照明設備も整っていない中で、貪欲に滑りを磨いた。

 険しい山道も乗り越えた。20歳で初参戦したワールドカップ(W杯)は優勝するまで9年かかった。2度の五輪は最高で5位。「恵まれた環境は自分の成長を妨げる」。強い意志のもと、結城コーチのもとを離れた。14年ソチ五輪後に単身でオランダに留学。レース前に吐くことさえあった気持ちの弱さと、向き合った。

 スケートが好き-。その思いだけで戦ってきた。3度目の五輪を前に、あらためて自分を見つめた。

 「普通の人よりスローな競技人生だと思う。ただ、誰かに与えられるのではなく、ずっと自分で考えて、選んできた」

 道が分かれれば、自らの意思で方向を決めた。それが世界と戦う支えだった。酒は飲まず、外食もほとんどしない。解剖学、栄養学を学び、古武術にもヒントを探した。速くなるためなら何でも試した。世界のトップに立てたのは、30歳。誰よりも強く氷を蹴り、誰よりも速く滑れるようになっていた。

 長い一本道は、平昌の地につながった。何度もつまずき、涙した。だが、スケートが好きだから、諦めずに歩いてこられた。日本女子初の金メダル。「私は成し遂げたんだ」。最高の笑顔で立った表彰台で、初めて後ろを振り返った。遠くまで来た自分が、誇らしかった。【奥山将志】