【金子真仁カリフォルニア編Ⅰ】アメリカ横断ウルトラクイズ覇者に聞く/連載〈14〉

この3月、アメリカ合衆国に出張しました。少年時代にテレビで見た「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ系)でスケールの大きさに感動したアメリカ本土に、人生43年目でついに初上陸。ドジャース大谷翔平投手(29)より30年も前に「チカラ」でアメリカに渡り、横断に成功した当時のクイズ王の1人、能勢一幸さん(55)に渡米前にお話を伺いました。

MLB

第15代王者・能勢一幸さん

ドキドキの渡航が間近に迫った3月上旬、埼玉・浦和で能勢さんと待ち合わせた。「10年ぶりにまたお会いできてうれしいです」。実は取材は2度目。それでもまるで畑違いの私なんぞを覚えていてくれて、光栄オブ光栄だ。

世界が自宅から半径1キロ程度だった小学生の私に、テレビに映った「アメリカ横断ウルトラクイズ」は衝撃的だった。クイズは分からないけれど、何よりアメリカがかっこいい。

アラスカ鉄道でのクイズで、敗者が原野の線路沿いに「置き去り」になった。世の中を知らない小学生は「本当に帰れるのかな?」と底知れぬ恐怖を感じた。世の中って、そういう怖いこともあるのかな―。

なんとなく物事の道理を理解し始めた小学校5年生の91年秋に、第15回のウルトラクイズが放送された。能勢さんは子ども心にかっこ良かった。頭が良くて、朗らかで。

ニューオーリンズでの激戦=能勢さん提供

ニューオーリンズでの激戦=能勢さん提供

「孟浩然!」

そんな能勢さんが泣いたのが、カリブ海のドミニカ共和国でのこと。「春眠暁を覚えず、とうたった唐の詩人は誰?」。能勢さんは右指を司会者に突き出しながら「孟浩然!」と答え最後の勝ち抜け者になった。そして泣いた。

「先に相手が早押しクイズの解答権を取って『これで負けだ』と覚悟して、それまでの思い出が頭の中を走馬灯のように駆け巡りました。いまだにあのような体験したのはあの時だけです。奇跡的に相手が誤答し、私が正解して勝ち抜けることができました」

ドラマチック。今でも私の中で、ドミニカ共和国といえばこの場面だ。ドミニカンが多かった西武の新外国人選手の入団会見でも、私の脳裏には「孟浩然」があった。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。