「パッティングがな、うまくいかなかった。神経の問題だよな。神経、指先の神経がね、鈍っているんだよ」-。

 名古屋GC和合で開催された中日クラウンズの第2日を終え、103位で予選通過を逃した尾崎将司(70)は、手首をグルグルと回しながらそうつぶやいた。

 どこかで聞いたことのある言葉だな…。ふと記憶をたどってみる。どれだけ考えても、思い出せなかった。宿泊している名古屋市内のホテルに戻り、昔に書いた記事を片っ端から探してみた。記者人生のほとんどの時間をサッカー畑で過ごしてきたから、ジャンボさんを取材した機会はそう多くはない。

 そう、まだ駆け出しの記者1年目。プロ野球の阪神担当だった03年1月19日の紙面に、その記事はあった。

 千葉県船橋市にあるジャンボ邸。広い庭に芝生が敷かれ、練習用のグリーンがあった。その片隅には、不似合いな野球のマウンド。かつて西鉄ライオンズに籍を置いたジャンボさんは、毎年1月にプロ野球選手を集め、合同自主トレをした。その取材に行かせて頂いた時のこと。近鉄を戦力外になり、阪神にテスト入団したばかりだった石毛博史の投球練習を見ていると、大きな声が響いた。

 「よ~し、それだ! その球だ!」。

 突然、立ち上がったジャンボさんはこう言った。

 「石毛の指先に脳ができた。指先の脳、神経を使うにはな、どういう体の使い方をしないといけないか、俺は常に言っている。ゴルファーも野球選手も一緒。これはスポーツ理論なんだ」

 その前年となる02年9月の全日空オープンで、777日ぶりの復活Vを飾っていたジャンボさんは「石毛にも復活して欲しい」と願った。願いはかない、石毛は03年に中継ぎとして阪神の18年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献。ダイエーとの日本シリーズにも登板した。

 歴代最多94度のツアー制覇を誇るジャンボさんだが、あの当時の02年全日空オープンを最後に優勝から遠ざかる。息の長いゴルファーとはいえ、もう70歳。往年の姿とは程遠い。だが、名古屋からの去り際。迎えの車の後部座席に乗り込む際に、ハッキリと言った。

 「自分のゴルフの内容が良くないね。アイアンでここの小さなグリーンをとらえるキレがない。勉強にしますよ。調整し直します」。

 年齢を重ね、指先の神経は鈍る。それは自然なことだろう。だが、その言葉に老いは感じられない。尾崎将司の闘志に、衰えはない。【益子浩一】