<ヤンキース2-1ブルージェイズ>◇第2試合◇19日(日本時間20日)◇ヤンキースタジアム

 ヤンキースのイチロー外野手(38)が、ブルージェイズとのダブルヘッダー2試合にいずれも先発し、計7安打1打点2得点4盗塁と大暴れした。第1試合では守備でもチームの危機を救い、第2試合では決勝打を放って勝利に導いた。移籍後、左投手の時は先発を外されるなど、ほぼ脇役扱い。しかし、この日の大活躍で、世界一を目指すヤンキースにはなくてはならない存在であることを証明し、紛れもない「主役」の1人であることを周囲に認めさせた。

 イチローがこの日8度目の打席に入ると、球場全体から沸き立つような歓声が上がった。1-1の同点で迎えた8回2死三塁、この日すでに6安打を放っていたヒーローの打席に、ファンもベンチも大きな期待を込めて見守っていた。3番手左腕ループの3球目、151キロ速球を捉えて左前に運び、決勝の適時打。スタンドから大きなイチローコールが起こり、イチローが一塁上に立っている間も、それが続いた。

 第1、2試合どちらも、イチローがチームを背負い、勝利をもたらした。1試合目は3安打2得点だけでなく、守備では3-2と1点リードの8回2死満塁で、左翼への鋭い当たりを懸命に前に走って胸で受け止め、勢いあまって芝生に転げる体を張った好捕でピンチを救った。2試合目の勝利の瞬間は外野仲間のグランダーソンらに抱きつかれ、勝利のハイタッチのときにはみんなに満面の笑みで迎えられた。

 試合後のクラブハウスでも、イチローが話題の中心だった。第2試合の1回に今季200安打目を放ったジーターは開口一番「今日はイチの日だよ」と笑顔。ジーターの年間200安打以上は8度目で、ルー・ゲーリッグに並ぶ球団記録だったが、そんな偉業を達成したジーターも脇役に回った。イチローのロッカーには大勢の報道陣が集まり、その日の主役にマイクが向けられた。インタビューが行われている間にも、同僚のスウィシャーが「ハジメマシテ」とおどけながら覚えたての日本語で声を掛け、別の選手がニコニコしながら寄ってきては声を掛けた。

 監督会見でも、イチローについての質問が集中した。ジラルディ監督は「イチが移籍してきたときは、1日に7安打4盗塁するなんて想像していなかったが、彼が打つときは本当に打つ。これ以上は望めないくらい、あらゆることをしてくれる」と絶賛。「これからは左投手のときもイチローのスタメンが増えるのか」と質問が飛ぶと「それは、かなり可能性が高いね」と答えた。

 これまで左投手相手ではベンチスタートが多く、スター軍団の中では「パズルのワンピース」だった。だが今は、チームにとって欠かせない存在になったことを誰もが感じていた。認めさせたイチローはこの日、いつになく冗舌だった。【水次祥子】<この日のイチロー記録>

 ▼1日7安打

 ヤンキースでは83年デーブ・ウィンフィールド以来。ダブルヘッダーのメジャー記録は計9安打(過去9人)。

 ▼1試合4安打4盗塁

 ヤ軍では88年4月11日にリッキー・ヘンダーソンが5安打4盗塁を記録して以来で、またヤ軍の1試合4盗塁は05年トニー・ウォマック以来。メジャーでは09年にレンジャーズのフリオ・ボーボンが記録。

 ▼史上4人目

 ダブルヘッダーで7安打4盗塁以上は、過去にも1907年のタイ・カッブ、27年ヌーン(ともにタイガース)、60年ウィルス(ドジャース)の3人だけ。

 ▼1日でダブル猛打賞

 それぞれの試合で3安打以上を記録したのは、ヤ軍では69年以降で7人目。72年ホワイト(元巨人)、73年アルー(元太平洋)、83年ウィンフィールド、87年ランドルフ、06年デーモン、08年ジーターが記録。

 ◆イチローがダブルヘッダー2試合で計7安打。連続2試合では04年に9安打(9月21日5本、22日4本)があるが、1日で7安打は日本時代を含めて最多。これまでの1日最多安打は6本で03年6月8日(4、2本)04年8月3日(5、1本)に記録。イチロー以外の日本人選手でも過去は松井秀の6本(03年6月28日に2、4本)が最多だった。これでヤンキース移籍後の通算打率は試合前までの2割8分8厘から3割1分7厘と3割台に。

 ◆イチローの1試合4盗塁は自己最多タイで04年7月20日、10年8月4日に次いで3度目。日本時代は1試合3盗塁が最多。