立行司の39代木村庄之助(九重)が、10月30日に65歳となり定年を迎える。そのため、秋場所が最後の本場所になる。

感慨は口にしない。現時点では、思い出は語らない。考えているのは、ただ平常心で毎日の土俵に上がることだけ。「自分は何も変わらないです。そういう(感傷的な)気持ちで土俵に上がったら、力士に対して失礼です。行司がどういう事情であろうと、力士にとっては関係ないですから」。

定年の記者会見を行い、最後の一番を合わせた後に花束を受け取る-。華々しく最後の本場所をかみしめることもできた。庄之助はそういうことをせずに、静かに去ろうとしている。

「引退する力士に対しても花道でそういうことをしないように協会から注意がきています。ですから私も受け取るわけにはいかない。多分、私の場合はいないんじゃないですか」。仮に記者会見の依頼がきても辞退する。「力士があくまで主役ですから。千秋楽の相撲が終わる前は、出るべきじゃない。いつの間にか消えていなくなるのが一番いいんです」。これが大相撲を支える行司としての矜持だ。

子どものころから北の富士が好きだった。元横綱北の富士に手紙を書いて井筒部屋に入門。1977年(昭和52年)九州場所で初土俵を踏んだ。2000年春場所から番付書きの助手を務めた。2007年九州場所からは、戦後7人目となる番付の書き手を務めた。2023年初場所まで、35年以上も番付書きに携わった。

語れることは山ほどあるはずだが、今はその時でないと考え、裏方に徹する。

堅物ではない。11日目のNHK中継では中入り時に「木村庄之助 土俵人生を振り返る」という企画があり、事前に収録したインタビューが放送される。「アナウンサーの三瓶さんが来て、お願いされたので受けました」。さすがにこれは断らなかった。「電話かなんかでしたら『いや、すいません』ですけど、直接巡業の支度部屋まで来て『お願いなんです』と言われたら断れないです」。

今場所、庄之助に向けた幟(のぼり)が国技館に立っている。幟には「心から感謝カンゲキ」という言葉が添えられ、贈り主は「薫☆陽光」。妻の洞澤薫さんと息子の陽光(あきみつ)さんから初めて贈られた幟だ。「最後だから、記念になりますね」。これもまた多くは語らず、控えめに家族に感謝した。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

立行司の木村庄之助(2026年1月撮影)
立行司の木村庄之助(2026年1月撮影)