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紙面企画

私のレジェンド

私のレジェンド

過去19回行われた世界最大の祭典。全世界のファンが魅了され、スーパースターに酔った。誰にでもいるW杯のヒーロー、それぞれの一押し選手を「私のレジェンド」として連載する。

ボビー奇跡のキャノンシュート


<日本サッカー協会名誉会長 小倉純二氏>

 イングランドを初優勝に導いたボビー・チャールトンはすごかった。初めてプレーを見たのは66年イングランド大会の翌年、大会を記録した映画「ゴール」だった。得点王になったポルトガルのエウゼビオ、北朝鮮の8強、イングランドと西ドイツの決勝戦。中でもボビーさんの代名詞「キャノンシュート」には驚いたな。

 当時もう古河電工のサッカー部を手伝っていたけれど、日本リーグでは見たことのないシュートだった。ただ、そのころの日本はメキシコ五輪に向けて頑張っていたころで、W杯は遠い世界だった。もちろん、その後にボビーさんたちと一緒に仕事をするなんて、夢にも思っていなかった。

 ボビーさんは、いつでも紳士。W杯招致アンバサダー就任を頼みにいった時も「W杯は欧州と南米だけのものじゃない。アジアでやることは重要だし、日本しかない」と言ってくれた。常に公平に、大局的に物事を見ている。招致のためにアフリカなど世界各地でサッカー教室もしてくれた。ボビーさんがいなければ、02年の日韓W杯はなかったかもしれない。

 ボビーさんは66年大会の決勝戦、ベッケンバウアーをマークした。試合前にラムゼー監督に呼ばれ「我々が負けるとしたら彼にやられた時だ」と頼まれたというんだ。同じことをベッケンバウアーも指示されていたという。(FIFA理事として)3人で食事をすることもあったけれど、必ず決勝戦の話は出る。2人とも思いは強いんだね。僕の原点も、あの映画。ボビーさんやW杯の素晴らしさを知ったから、この仕事をしてきたんだと思う。

 ◆ボビー・チャールトン 1937年10月11日、英アシントン生まれ。17歳でマンチェスターU入り。58年に「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれる飛行機事故に遭ったが、奇跡的に生還。左足の正確かつ強烈な「キャノンシュート」を武器に主力を失ったチームを欧州王者に導き、66年には欧州最優秀選手賞に輝いた。20歳で代表デビューし、国際Aマッチ106試合49得点。3度のW杯に出場し、66年大会で優勝した。75年の引退後は世界サッカー界の発展に尽力している。

















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