兵庫県の姫路を出た姫新(きしん)線は事実上の兵庫県側の終点である佐用から岡山県に入ると状況が一変する。岡山第3の都市である津山を経て新見に至る路線だが、運行は必ず津山で分断され、全線で見ると姫路~佐用、佐用~津山、津山~新見の3路線がそれぞれ独立する形となっている。今回は佐用~津山間。1000年以上の歴史を誇る湯郷温泉を抱え沿線人口、集客力も十分にあるが、高速道路というライバルに圧迫される日本各地の光景がこちらでも見られる。それでも一見の価値がある駅舎は多い。

〈1〉兵庫県最西端の上月駅は特産物直売所が併設されていて軽食も食べられる(2018年11月)
〈1〉兵庫県最西端の上月駅は特産物直売所が併設されていて軽食も食べられる(2018年11月)

姫新線の岡山県側は上月からスタートする。「兵庫県最南端の駅(2月11日)」でも記した兵庫県最西端の駅。姫路方面からのほとんどの列車は佐用止まりのため、ここにやってくる車両は大半がJR西日本ローカル線でおなじみのキハ120である(写真1)。

戦国時代は播磨、美作、備前の3国に接する重要拠点で、上月城に立てこもる味方を最後は見殺しにしてしまった羽柴(豊臣)秀吉痛恨の戦として知られる。そんな国境の駅だけに車窓は注目。山陽本線もそうだが兵庫県と岡山県の県境は、いかにも、の雰囲気にあふれている。旧国境と現在の県境がほぼ同一で姫新線で最後の工事区間になったことにも納得できる。

〈2〉美作土居は旧宿場町に設けられている(2018年11月)
〈2〉美作土居は旧宿場町に設けられている(2018年11月)
〈3〉再建された宿場町の門(2018年11月)
〈3〉再建された宿場町の門(2018年11月)

岡山県最初の駅が美作土居。私の超オススメ駅(写真2、3)。今地図を見るだけでは何で姫路と新見を結ぶ鉄路ができたのか分からないかもしれないが、出雲街道に沿ってレールが敷かれたのだ。姫路を出ると觜崎、千本、三日月、佐用と来て播磨から美作に入ったところが土居。この後、津山から勝山、根雨、米子、出雲へ。新見経由で姫新線から伯備線で出雲へ至るコースとほぼ同じだ。

姫新線は大正期に部分開業して戦前(1934年)には全通した。今と違って車も道路も未整備の時代。せっかく線路を通すのなら人がいないところに敷いても意味がない。工事技術も今と違う。できるだけトンネルも避けるとなると必然的に旧街道近くになる。

〈4〉旧作東町の中心駅である美作江見駅(2014年2月)
〈4〉旧作東町の中心駅である美作江見駅(2014年2月)

その美作土居は全通時の駅舎が残る。播磨との国境で警備にあたった際の門が駅からすぐの場所に再建され、しかも宿場町の風情も残っている。ぜひ訪れてほしい。お次の美作江見は県境がつながるまでの終着駅で折り返し設備が残り、今もごく一部の列車が兵庫県まで行かずに折り返す(写真4)。

「ごく一部」と書いたが、現在この区間を走る列車は1日10往復程度と、もともとが少ない。うち2本が美作江見折り返しなので、県をまたぐ列車はさらに少ない。猛暑の中、バスと徒歩で回った因美線の津山~智頭間(昨年10月1、8日の記事)とあまり変わらないが、沿線風景は全く異なる。自販機ひとつ探すのにもヒーヒーだった因美線とは違い、宿場町である勝間田から湯郷温泉の最寄り駅となる林野そして中国道美作IC間の道路は、スーパーやコンビニ、飲食店が並んで大にぎわい。閑散ダイヤが信じられない。

美作ICが大きなポイントとなっている。佐用~津山間では湯郷温泉を控え、美作市の中心駅でもある林野が重要駅だが、今や公共交通機関での大阪方面からメインルートは大阪と津山を結ぶ高速バスとなっている。姫新線で兵庫県から岡山県に入ると中国道が接近してきて、鉄道側からすると何の嫌がらせかと思うほど新見までピッタリ寄り添う。

この路線はよくできていて、津山や美作だけでなく兵庫県の宍粟、加西や西脇といった都市と大阪を結ぶ重要路線にもなっていて、30分に1本という高頻度の時間帯もある。美作ICバス停は林野駅から車で数分と至近で、美作の玄関口はこちらのバス停となっているのが現状だ。

〈5〉湯郷温泉の最寄り駅となる林野駅
〈5〉湯郷温泉の最寄り駅となる林野駅
〈6〉湯郷温泉の案内が並ぶ
〈6〉湯郷温泉の案内が並ぶ

しかし、そのおかげと言っては何だが、林野は時が止まったままのような味わい深い駅舎が残る。正面からも裏からも、まさに「家」である。駅舎だけでなく文字もどこか懐かしい(写真5~8)。

〈7〉線路側から見た駅舎。古民家を思わせる
〈7〉線路側から見た駅舎。古民家を思わせる
〈8〉駅舎に掲げられた文字は昭和のものと思われる
〈8〉駅舎に掲げられた文字は昭和のものと思われる

ツイッターで当駅を紹介したところ、かつてよく利用していたというフォロワーさんから貴重な情報をいただいた。かつて姫新線を走っていた急行「みまさか」「みささ」についてである。両者は津山まで併結で走り、そのまま新見へ向かう前者と因美線経由で鳥取へ向かう後者に分割されていた。70年代は大盛況で始発の大阪でほぼ座席が埋まり、三ノ宮では早くもデッキまで人があふれる状態だったとか。併結状態の林野のホームは有効長が足りなかったが、ホームがない部分のドアも開いていたという。今だったら大騒ぎだ。実におおらかな時代の話で、ちょっとうらやましくなる。貴重な情報ありがとうございます。

〈9〉林野の改札内。原則的に有人駅
〈9〉林野の改札内。原則的に有人駅
〈10〉林野駅の駅名標
〈10〉林野駅の駅名標

手元に88年3月の時刻表復刻版がある。JRに移管して1年。まだ昭和だ。翌月に瀬戸大橋開通を控え同線の時刻が掲載された。姫新線の欄を見ると姫路~佐用以外の区間の本数は、今とさほど変わらない。姫路から津山まで乗り換えなしで行ける列車が7往復もあることに、今より、やや利便性を感じる。その中に「みまさか」「みささ」が1本。大阪から直接行ける上、姫路からのスピードも全く違うので人気も集まるはずだ。もっとも最盛期には大阪から津山までは1日3本もの急行があったので、中国道の影響を既に受けていたと思われる(写真9~11)。

〈11〉かつて2線のホームだった跡が残る
〈11〉かつて2線のホームだった跡が残る

林野駅のホームに立つと以前はすれ違い可能な島式2線ホームだったことが分かる。役割を終えた1線にはマンションが建っていて2度と戻ることはないのだろう。戦前からの駅舎と高速道路。いろいろな思いで各駅を回るのも旅のひとつだと思う。【高木茂久】