なぜ梅毒が急増しているのか。その理由について、東京・西新宿の「プライベートケアクリニック東京」で名誉院長を務める尾上泰彦医師が歴史をひもとく。「かつて梅毒は1492年にコロンブス一行が新大陸の発見とともに、“先住民の風土病”として欧州へ持ち帰ったとされています。当時、“悪魔のお土産”と呼ばれました。そして今、再流行の原因には、中国人からの感染があると考えられるのです」。

 さて、コロンブスの船には雇い兵がいた一方、ローマなどには数万という娼婦がいたらしい。新大陸の女性たちと交わった船乗りたちの中には、船団が帰り着いたときにはすでに梅毒を発症したものもいた。ウィーンに残っている患者を描いた1498年の絵には、梅毒の特徴である「バラ疹」が全身に現れた姿が描かれている。戦乱の時代、梅毒はそうした社会背景の下、欧州各地へものすごい勢いで広がった。

 ちなみに梅毒は英語で「シフィリス(syphilis)」という。由来は、イタリアの外科医だったジロラモ・フラカストロが、1503年に書いたラテン語の詩だ。尾上医師が続ける。「『シフィリス、すなわちフランス病』の主人公の名前だったのです。羊飼いのシフィリスという英雄が、神を冒涜(ぼうとく)した罪として、この病気にかかったとされたのです」。

 欧州の人たちは、争いごとの相手を揶揄(やゆ)して、その名にした。オランダ人は「スペイン病」と呼び、ポーランド人は「ドイツ病」と忌み嫌い、ドイツや英国は「フランス病」とさげすんだ。

 その後梅毒は欧州からインドへ渡る。「1493年にはスペイン、翌年イタリア、翌々年フランス、その翌年に英国、さらに2年後にインド、1506年に中国へ広がりました。日本の大坂(当時)へは1512年に上陸した」(尾上医師)。

 日本でも古くは「広東病」、あるいは「南蛮病」などと呼んだとされる。また、同じ性感染症の淋病(りんびょう)とともに「花柳病」と呼ばれた。