患者さんから時折「歯みがきは食後30分たってから行うというのは本当か」といった質問を受けます。一般的な虫歯予防の観点から考えるとこれは「誤り」です。ではどうしてこうした情報がちまたにあふれてしまったかというと、15年ほど前に「酸蝕(さんしょく)症」という疾患に注目が集まった背景があります。
pH5・5以下の酸性食品を頻繁に摂取すると、唾液が持つ緩衝能(酸を中和し口の中を中性に保つ働き)が追い付かず、エナメル質がダメージを受けることが分かっています。昔は特殊な酸を扱う工場などで勤務する方の口でしか見かけられなかった「酸蝕」という現象が、かんきつ類やお酢など、健康志向で摂取する食品の流行から日常生活でも広がり始め、知覚過敏などを訴える方の相談が急増したのです。
通常の虫歯は、プラーク(歯垢=しこう)と呼ばれるバイオフィルム(ぬめり汚れ)の中に生息する細菌が産生する酸によって、エナメル質のミネラル成分が溶け出す現象(脱灰)から始まります。エナメル質は人体でもっとも硬い組織なので、最表層は唾液やフッ化物の再石灰化作用で守られやすく、最初に溶けるのはその下の層からです。
このため初期虫歯はわかりづらく、表層は健全に見えていても、内部にチョーク様の白濁が広がります。進行して初めて表層が崩壊、穴が開くので、自分で気づいたタイミングでは相当広がった虫歯であることが多いです。
かたや酸蝕は、表層が一気に酸で溶け、広範囲に溶解する点が特徴です。虫歯と異なり、細菌が関与する暇がありません。酸性食品摂取後はエナメル表面が軟らかくなっている可能性があるため、「強い力でゴシゴシ磨く動作はNG」「心配な方は唾液の作用で中和される30分を目途に歯ブラシを当ててみては」といった酸蝕に対する注意喚起がひとり歩きし、通常の歯みがきと混同されたことが原因で誤ったケアが増えました。

