東京五輪・パラリンピック300回連載

南スーダン→前橋1万2千キロ、メダルでつなぐ平和

南スーダン選手団が昨年11月から、強風「赤城おろし」が吹く、群馬県前橋市で長期合宿を行っている。南スーダンは20年以上続いた内戦を経て、2011年7月にスーダンから独立したアフリカの国だが、政情不安が続く。選手たちを支えたいとの思いから、国際協力機構(JICA)が前橋市に打診し、合宿が実現した。「自分は平和のために働いている」と決意を語る、陸上男子1500メートルに出場予定の、グエム・アブラハム・マジュック・マテット選手(20)に思いを聞いた。

南スーダン選手団は短距離コーチを務める2019年日本選手権400メートル2位の小渕瑞樹(右)と練習(撮影・佐藤勝亮)
南スーダン選手団は短距離コーチを務める2019年日本選手権400メートル2位の小渕瑞樹(右)と練習(撮影・佐藤勝亮)

故郷から1万2000キロ。母国を思いながら、冷たい「空っ風」の中を走る。「五輪で活躍すれば平和のメッセージを伝えられる」。アブラハムは待ち望んだ五輪を見据え、ひたすら練習に打ち込んでいる。

練習拠点は、前橋市のJR上越線沿いにある王山運動場。1周400メートルのゴム製全天候型トラックがある。夕焼けの中、待機場所の仮設コンテナからコースに出てきた選手たちの表情は、引き締まってみえた。

故郷、南スーダンは2011年に独立したが、13年に内戦が始まり、民族対立の高まりで推計約40万人が死亡した。物価は高騰し、農村は破壊された。16年から始まった国体の競技場でさえ、土のトラックの上に石が転がっている。その上をはだしで駆け抜ける選手もいる。アブラハムも代表として出場した大会で、他国選手にスパイクを借りたことがあるという。

国の代表として最高の準備を尽くすため、日本行きを選んだ。前橋での練習環境は想像していた以上に満足している。だが、群馬名物の赤城おろしには「こんなに風は強くない」と苦笑い。来日前、日本の印象はとても良かったと話すが、「前橋の温かい皆さんの支えで、その思いはより強まっている」と明かした。

7年前に父を病気で亡くした。家族はじゅうたんを屋根代わりにして暮らしており、生活は苦しい。唯一高校まで教育を受けた長男は、母と弟5人、妹2人を故郷に残して来日。家族構成を自分の指を折り、説明してくれた。母は収入のない陸上競技に長男が打ち込むのを良くは思っていない。だが、「自分は母国の平和のために働いている-」。20歳の覚悟が、ひしひしと伝わってくる。

群馬県前橋市で事前合宿に励む南スーダン選手団はガッツポーズを決める。左からジョセフ・コーチ、マイケル、アブラハム、ルシア、アクーン(撮影・佐藤勝亮)
群馬県前橋市で事前合宿に励む南スーダン選手団はガッツポーズを決める。左からジョセフ・コーチ、マイケル、アブラハム、ルシア、アクーン(撮影・佐藤勝亮)

環境の違う異国での長期合宿。特にアスリートにとって、「食」は結果に大きく影響する大切な要素だ。「お米、麺が好き。特にうどん」と日本語学校で覚えた日本語で、笑顔を見せた。白いトウモロコシの粉を団子にした南スーダンの郷土料理「ポッシュ」は、「お餅に似ているが、あんなにもちもちしていない」というが正月に市職員の自宅で食べた餅は「とてもおいしかった」。南スーダンでは肉などはすべて火を通すため、刺し身などの生魚だけは慣れないが「コンビニのチキン」なども、楽しんでいる。

受け身の考えは一切ない。コーチの吉野氏は「国の代表として、何をしなくてはいけないのかがわかっている」と評価する。アブラハムは「大会の記録をSNSに投稿すると、対立する民族の人たちも激励してくれる」。人々をつなぐ。スポーツの力を信じている。世界中で中継される五輪でメダルを獲得すれば「みんな自分に注目すると思う。そうすれば、平和のメッセージを伝えられる」。

「いい結果が出たら前橋の皆さんのおかげだと思っている」と感謝の気持ちも忘れない。帰国後は「未来のアスリートを経済的に支えたり、苦しんでいる人のサポートをしたい」。支えられた経験や感謝の気持ちは、次世代のアスリートにつなげていくつもりだ。

待ち望む東京五輪まであと163日。目標を聞かれると真っすぐ前を見て「メダルをとりたい!」と即答した。雄大な夢を運ぶ強くしなやかな足で、今日も走る。【佐藤勝亮】

◆南スーダン 2011年7月にスーダンから独立した「世界で一番若い国」。東アフリカに位置。首都「ジュバ」。面積は64万平方キロメートル(日本の約1・7倍)。人口1258万人(2017年)。サバナ気候。乾期は最高気温が40度。雨期は最高気温がやや下がり、時々スコールが降る。公用語は英語。宗教はキリスト教、イスラム教など。主要輸出品は原油など。輸入品は車両など。在留邦人は2018年9月現在で約30人。

■全国スポーツ大会「国民結束の日」

2019年1月25日~2月2日に首都ジュバで行われた「国民結束の日」全国スポーツ大会。土のトラックを駆け抜ける選手たち(JICA提供)
2019年1月25日~2月2日に首都ジュバで行われた「国民結束の日」全国スポーツ大会。土のトラックを駆け抜ける選手たち(JICA提供)

独立後も部族間対立が続く南スーダンで、スポーツを通じて社会的結束を再興できないか-。JICAは14年12月から、南スーダン文化・青年・スポーツ省幹部と協力し、同国初の全国スポーツ大会「国民結束の日」開催へ二人三脚で準備を進めてきた。

「国民結束の日」全国スポーツ大会で平和のメッセージカードを手に入場行進する選手(JICA提供)
「国民結束の日」全国スポーツ大会で平和のメッセージカードを手に入場行進する選手(JICA提供)

16年1月、首都ジュバで開かれた第1回大会には各部族の青年約350人が参加。約2万人の観客が声援を送った。種目は男女陸上競技、男子サッカー、綱引きなど。大会は国内全土に生中継された。各選手が武器ではなく競技で競い合い、試合後には互いに健闘をたたえあうシーンも生まれた。大会には女子バレーボールも加わり、毎年開催されている。アブラハムもこの大会を通じ、五輪代表に選出された。

「国民結束の日」全国スポーツ大会。はだしで走る選手もいる(JICA提供)
「国民結束の日」全国スポーツ大会。はだしで走る選手もいる(JICA提供)

「国民結束の日」全国スポーツ大会最終日の閉会式(JICA提供)
「国民結束の日」全国スポーツ大会最終日の閉会式(JICA提供)

<前橋市陸上競技協会理事長 吉野宏氏>

選手たちを技術面からサポートするのは前橋市陸上競技協会理事長の吉野宏氏(66)。吉野氏は中学教諭で、陸上部の顧問を務めた経験があるが、五輪選手の指導は初めて。「自国開催の五輪に携わることができてすごく光栄。巡り合わせに感謝です」と語った。

吉野氏はアフリカ大陸の選手について「自分の中ではエチオピア出身で60年ローマ五輪、64年東京五輪でマラソン連覇したアベベ・ビキラの印象が強い」と語る。南スーダンはエチオピアの隣国。「身体能力が高く、足が長くて体幹がしっかりしていると思っていた」と、指導前から期待をふくらませていた。アブラハムらの練習を最初に見た時は「たまげた」。足が長く、日本人には見られないストライドの長さ。ゆっくり走っていても走り方がきれいだったと言う。

アブラハムの1500メートルのベストタイムは、3分43秒。日本記録は3分37秒。リオ五輪優勝タイムは3分50秒だ。メダルの期待が高まるが、吉野氏は「1500は中距離。レース中の駆け引きや、ラストスパートについて行けるスプリント能力がない」と課題を指摘した。

目標は大きく、「メダル!」。4月から群馬県の大会に参加し、実戦感覚を積む予定だ。来日から3カ月。合宿の成果は明らかで「おしり、腰つきが全然違う」。3食食べられる環境になったことも要因の1つとみる。共に五輪のメダルを目指す選手たちにかける夢は、その先にもつながっている。「南スーダンに帰った後も、指導者の道などで、南スーダンの競技力を高め、平和に貢献して欲しい」。選手たちと出会った時から感じてきた「ワクワク」は止まりそうにない。

■「前橋合宿」計画

「亀泉町新春親子そろって餅つき大会2020」に参加し、餅つきを体験した選手たち(前橋市役所提供)
「亀泉町新春親子そろって餅つき大会2020」に参加し、餅つきを体験した選手たち(前橋市役所提供)

「前橋合宿」計画は2018年7月に始まった。JICAの南スーダン支援策の柱の1つ「スポーツを通じた平和の促進」と前橋市の「スポーツの町前橋」の理念が出会い、動きだした。

当初は短期合宿の予定だった。南スーダンオリンピック委員会も協議に加わり、政情や練習環境などを考慮し、前橋市が長期合宿を提案。南スーダンの国体などで選抜された陸上競技の五輪選手3人、パラリンピック選手1人、コーチ1人、計5人が昨年11月14日、来日した。東京五輪では、南スーダンに6枠の特別出場枠が割り振られている。

支援費用はふるさと納税でまかなう。目標金額は2000万円だが、1月28日時点で1150万円が集まった。市の担当者は「五輪で良い成績を収めてくれるのが一番だが、五輪後も、友好関係を深めていきたい」と語った。

南スーダン応援委員会がデザインした応援Tシャツ(JICA提供)
南スーダン応援委員会がデザインした応援Tシャツ(JICA提供)

民間企業や団体によって構成される南スーダン応援委員会では、前橋駅構内の施設などで、応援Tシャツを販売している。14人の部員で企画からデザインまで担当した。生地は黒色。アフリカンプリントを用いて、前橋と南スーダンの強いつながりを表現。選手団も練習で着ることもあるという。担当者は「せっかく来てくれたのだから、心の底から力になりたかった」。サイズはS~XOの5段階。価格は税込み3300円。これまでに約2300枚が売れており、売上金は、市のふるさと納税になるという。

ユニクロは前橋市の「ガーデン前橋店」を南スーダン選手団に全面開放し、衣料品で選手たちを支えている。合宿中の日常着、および練習用の衣類を自由に選んでもらい提供している。

五輪スポンサーではないため、五輪本番での露出はないが、担当者は「南スーダン選手への衣料提供を通じて、選手たちの活躍を願うとともに、スポーツを通じた平和の促進に貢献したい」と語る。

ミズノは練習で使用するシューズ、ユニホーム、ウエアなどを提供。前橋からの打診を受け「前橋市の進める『スポーツを通じた平和の促進』に共感し、スポーツSDGs(持続可能な開発目標)につながる活動」と、支援に乗り出した。東京五輪本番でも南スーダン選手団がシューズ、ウエアを着用をする予定。

日刊スポーツが2020年東京五輪・パラリンピックに向けて毎週お届けする300回の大型連載です。ここでしか読めないスペシャルな話題満載です。

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