「また4年かー。」

 この言葉で、ピョンチャン(平昌)オリンピックまでの苦労が伺えた。

 スノーボードハーフパイプで2大会連続銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、14日の決勝後こう話した。

 「本当にこの4年間つらかったし、けがもした。1歩1歩が、大変だった」

 決勝後のセレモニーで、笑顔は全くなかった。


 当日は、私が平昌にきてから一番暖かった。コンディションは悪くない。全ての選手が、ハイスコアを狙ってどんどんレベルの高い技にチャレンジしてくる。

 やっぱりオリンピック。

 平野選手は平昌前哨戦とも呼ばれた1月のXゲームで、99.00をマーク。2度目の優勝を果たした。誰もが認める金メダル候補だ。

 だが五輪の舞台は簡単にはいかない。1回目の滑走は、エアの着地で失敗して35.25。全体の9位だった。

 それでも2回目の滑走で連続ダブルコーク1440を決め、95.25をたたき出してトップに立った。彼らしい演技だった。


 アメリカ代表で平野選手のライバル、ショーン・ホワイト選手は、1回目のライディングが94.25、2回目は55.00。ここまでわずか1点差の2位。勝敗を決めるのは3回目だと意識していただろう。

 「ライバルの滑走はいつも、見ている」

 決勝1回目、2回目と滑走が進んでいくときのメンタリティーは、どのようなものなのだろうか。

 「相手がどのような技を決めてくるかを見て、自分の技を変えたりもする」

 個人競技ではあるものの、他の選手の滑走を見てその場で自分の技を変更するというのは、スノーボードハープパイプならではなのではないかと感じた。

 水泳は、自分の泳ぎを確実に実行することが、勝者の条件でもある。


 3回目の滑走、平野選手は勝負をかけようとした。

 そのプログラムは、バックサイドエア、フロントサイドダブルコーク1440、キャブダブルコーク1440、フロントサイドダブルコーク1260、バックサイドダブルコーク1260、フロントサイドダブルコーク1080。

 しかし成功ならず、得点は43.25。2本目のスコアが採用されることになった。


 ホワイト選手はこの演技を見て、何を感じていたのだろう。

 2017年9月にキャブダブルコーク1440でけがをした。さらに10月のワールドカップの前日練習でも、同じ技で顔を62針縫う大けがをした。

 それだけのことを経験しながら、ここでまた同じ技に挑戦してきた。フロントサイドダブルコーク1440からキャブダブルコーク1440の連続を成功させ、97.75で平野選手を上回った。

 演技後、ホワイト選手のお父さんに話を聞くと、今回は落ち着いて応援できたと言っていた。王者の貫禄? いや本人は大興奮で涙を流していた。

 31歳。4度目のオリンピックで3度目の金メダル。ハープパイプは「20代前半がピークであることが多いがショーンは別」と、日本代表の村上大輔コーチがいう。体のケア、コンディショニング、準備に費やす労力は計り知れない。


 平野選手は2大会連続の銀メダル。だが前回と意味合いは違う。

 ソチ五輪を振り返ると「自分の持っていたもので取れてしまった銀メダル」。そこから、頂点を取る戦いが始まった。2017年には大けがもした。今回は、確実にこの4年を歩んで来た軌跡がある。

 村上コーチは「本当に1番だけを目指して来ていたから本当に悔しい」。

しかし、結果は結果だ。受け入れる。

 平野選手は「新潟の村上という場所知ってますか?」彼の地元だ。彼の言葉から、ゆっくりしたいという気持ちが伝わった。

 「これまで1日1日が本当に大変だった」

 ゆっくり休んで、「課題」が見つかったこのオリンピックをしっかり消化して次に進んで欲しいと思う。まだ19歳。彼の見えている世界は彼にしかわからない。周囲は十分だ、と思っても、彼は満足ではないかもしれない。

 ただ、応援する私たちは、たたえるしかできない。

 「またフラッシュバックしそう」

 長いようで短い4年。

 この年月は、アスリートにとって必要な時間なのかもしれない。

 平野選手の言葉からは、選手と、選手を支える全ての人をたたえたいという気持ちが感じられた。本当におめでとうございます。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)