平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)カーリング女子団体戦で、日本勢初のメダルとなる銅メダルを獲得したLS北見が26日、韓国から帰国し、都内で日本代表選手団帰国時記者会見に出席した。

 スキップ藤沢五月(26)は、やや声が枯れており「何を言っているかお分かりでしょうか?」と言い、笑った。そして「私たちはカーリングで、五輪で初めてメダルを獲得することが出来ました。このメダルは私たちだけではなく、今まで五輪を4年ごとにつないでくれた先輩たちが、いつも力強く精いっぱい氷の上で戦ってくれて、私たちが先輩を超えるために努力して、目指してきたメダルの1つだと思います」とカーリング界の先達に感謝した。

 藤沢自身、五輪への出場は初めてで「小さい頃からの夢で、目指してきて、その舞台に初めて立つことが出来た」と感慨を感じていたことを明かした。その一方で「正直、試合に臨むまでは勝ち負けより、楽しんで大会を終えることを目標にしてきました」と、勝敗以上に五輪の舞台を楽しむことに重きを置いていたことも打ち明けた。それが「自分たちのことを信じてやっていけば、メダル獲得も夢ではないと、しっかり思って最後まで戦ってこられた結果、銅メダルを持って帰ってくることが出来ました」と、五輪を戦う中でメダルへの思いが湧いたと吐露した。

 一方で、悔しさもにじませた。「うれしい気持ちの反面、表彰式の前に決勝戦を観戦したんですけど、スウェーデンと同じアジアの韓国の戦いを見て正直、悔しい思いも込み上げてきました。この悔しい思いは、私の今後のカーリング生活の中で忘れることの出来ない思いになりますし、今後のカーリング界の目標になると思う」と笑顔の中にも悔しさをのぞかせた。

 サード吉田知那美(26)は「男子も含めて、長野五輪で公式種目として採用されてから20年かかったんですけど、ようやくメダルを手にすることが出来ました」と感慨深げに語った。そして「このメダルは私たちだけで取ったメダルではなく、20年間の中で日本代表として五輪で戦い続けてくださった先輩達がつないでくださったメダル。私たちとしては五輪も大切な舞台なんですけど、それが全てではなく通過点で、私たちが納得いくパフォーマンスを、これからも続けていけるようにしなければいけないと、改めて痛感した五輪でもありました」とも語った。

 その上で「私たち1人1人が、口にも出せずに秘めていた五輪メダリストという夢は、5人集まると目標になり、全員で努力し1つの現実になった。競技生活を振り返って、限界は人が決めることではなく、しっかりと乗り越えていくものだと感じました。そういうふうに思わせてくれたのは、人間の限界を超え続けてくださっている、葛西選手がいてのことだなと思っています」と葛西紀明(45=土屋ホーム)に感謝した。

 吉田知那美は最後に「これからも頑張って参りますので、マイナー競技のカーリングを日本の国技になるくらいの努力をします」と意気込んだ。【村上幸将】