【ソフトバンク・高田知季】リハビリ中の「気落ち」を救う/さよならプロ野球〈10〉

引退―。プロ野球選手にとって不可避の岐路は、新たな人生への「入団」でもあります。オフ恒例の大河企画「さよならプロ野球」で、青年たちの希望の光を追います。第10回はソフトバンク・高田知季編。

プロ野球

★新設「野手リハビリ担当コーチ」

現役時代を反面教師に―。

ソフトバンク高田知季内野手(32)は、今オフから新設された「野手リハビリ担当コーチ」に就くことを決断した。

自身は16年に左肩、20年には左足首を手術。リハビリ期間の“気落ち”を知っているだけに「同じ失敗を今の子たちにしてほしくない」と、現役続行よりも選手のサポートに徹する道を選んだ。

◆高田知季(たかた・ともき)1990年(平2)5月6日、兵庫・姫路市生まれ。岡山理大付で2年夏に甲子園出場。亜大では1年春からレギュラー。2年秋に盗塁王。4年では副主将として主将東浜を支えた。12年ドラフト3位でソフトバンク入団。通算444試合で打率2割1厘、5本塁打、53打点。17年には大手通販会社「ジャパネットたかた」のCMにも出演。175センチ、68キロ。右投げ左打ち。

6年前。左肩にメスを入れ、身をもって感じた。

「どうすればいいのか何も分からなかった。初めての大きな手術に長いリハビリ生活。できることも限られるし、モチベーションも上がらなかった。『どうせまだ時間かかるし』っていう感じ」

ソフトバンク新人入団発表で記念撮影する、東浜巨(手前)、2列目左から伊藤祐介、秋山幸二監督、高田知季、3列目左から山中浩史、笠原大芽、真砂勇介=2012年12月

ソフトバンク新人入団発表で記念撮影する、東浜巨(手前)、2列目左から伊藤祐介、秋山幸二監督、高田知季、3列目左から山中浩史、笠原大芽、真砂勇介=2012年12月

今でこそ明かせる「トレーニングもおろそかになってたし、やるべきことをやってなかった」という本音。復帰後の技術レベルダウンに後悔の念が押し寄せた。

未来のある若鷹に同じ轍(てつ)を踏ませたくない。

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