<フリーアナウンサー 生島ヒロシ(64)>

 前回の東京五輪(1964年)の時は、宮城・気仙沼の中学2年生。陸上部で、100メートル金メダリストのボブ・ヘイズ(米国)に憧れました。パワフルで独特な走り。すぐ影響されやすいヒロシ少年は、まねしてかえってタイムを落としてました(笑い)。あとはバレーボールの東洋の魔女。興奮の2週間でした。

 金メダルが16個。スポーツで世界に伍(ご)して戦った。スポーツの喜びというものを知りました。五輪の後に体操男子個人総合優勝の遠藤幸雄さんが気仙沼に来て「金メダリストが来た ! 」って大騒ぎになりました。

 中学校では理科の実験室にテレビを設置して、授業を休んで五輪を見ていました。東京五輪で日本中にテレビが広まったともいえますね。高速道路や新幹線のインフラ整備も進みましたね。

 76年にTBSに入社しました僕は、芸能のアナウンサーだったから五輪中継には縁がありませんでした。でも91年の世界陸上。カール・ルイスが優勝して、長嶋さんが「ヘイ、カール ! 」と呼び掛けた時の特番の司会をさせてもらいました。カールとも友達になれた(笑い)。

 20年の東京五輪。僕は70歳になる年です。それまで若々しく希望を持てる、いい目標になります。TBS系「スーパーサッカー」の司会をやってたことも理由だけど、期待する種目はサッカー。ベスト4を目指して欲しい。96年のアトランタ五輪の「マイアミの奇跡」の時は、乗っていた新幹線の車掌さんにお願いして「日本代表がブラジル代表を破りました」って車内アナウンスしてもらったんですよ。自分がやってる空手が競技種目になるかも気になりますね。

 あとは、サプライズで新しいスターが出てきて欲しい。桐生選手は100メートルで9秒台を出せるのか。ジャマイカ人の父親を持つケンブリッジ飛鳥選手にも期待大です。今の人は日の丸を背負っても、プレッシャーを楽しんで結果を出してくれますからね。(2015年05月27日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。