日本選手団最年少の17歳、川除(かわよけ)大輝(日立ソリューションズJSC)が、パラリンピックにデビューした。

 エントリー種目中、最も距離が長い20キロで9位。トップと6分以上の差をつけられ、目標としていた8位入賞にもあと1歩届かなかった。ゴール後はほおを赤く染めながら「体力がある前半にスピードを上げられなかった。W杯と違って緊張したし、応援も聞こえませんでした」と悔しそうだった。

 2月21日に17歳になったばかり。先天的に両手足に人さし指、中指がない。ストックを待たずに滑る。161センチ、50キロと小柄も上腕が強く、大きな腕の振りを推進力に結びつける。

 軽い体を生かせる軟らかい雪質を得意にするが、この日のコースはがっちり固められていて苦戦。気温上昇で雪が溶け出した後半は、高い心肺機能で何とか粘りきった。

 小1でスキーを始めた。地元・富山市のクラブに入っていたいとこの誘いがきっかけだった。無口で引っ込み思案だった少年が変わったのは3年後の夏。富山を訪れた日本の第一人者・新田佳浩(37=日立ソリューションズ)に会い、10年バンクーバー大会で獲得した2つ金メダルを首にかけてもらった時だった。「重かった。日本の人が世界でこんなに頑張っていると思うと、自分もうれしくなった」。心が熱くなった。スキーと真剣に向き合うようになった。

 15年のW杯旭川大会に出場資格の14歳に満たない13歳でオープン参加した。日本連盟の期待の表れだった。そこで「初めて世界の速さを実感した」ことで新田の背中を追い、世界を目指す覚悟を固めた。富山市立大沢野中を卒業し、現在は県立雄山高2年生。障がい者の大会だけでなく、中学、高校の健常者の大会にも積極的に出場して力をつけてきた。今では新田も自らの後継者と認める存在。

 「僕たち若い選手がいい結果を出せればいい。僕の滑りを世界に見てもらいたい」という決意で残りのレースに挑む。