成田緑夢(ぐりむ、24=近畿医療専門学校)が金メダルを獲得した。3回の滑走でベストタイムを競う種目で、いずれもエントリー20選手中ベストタイムをマーク。2回目はただ1人50秒を切る49秒61、3回目には再び1人だけ49秒を切る48秒68をたたき出して頂点に立った。成田は12日のスノーボードクロス銅メダルに続く、今大会2つめのメダルになった。

 小雪が舞い、冷え込んだコースを成田が疾走した。雪は氷のように固まり、バランスを崩す選手も続出した。レースが進むに従って荒れるコースで、低い姿勢を保ってボードをコントロール。14あるバンク(斜面)を正確なライン取りで攻略し、シェイ、ストロング(ともに米国)スールハマリ(フィンランド)らのライバルを抑え込んだ。

 「もう、最高の気分です、ハイ。それしか出てこないですね。みんな滑るたびにベストを更新する異例のレースで、自分も負けずにべストタイムを出し切れて優勝というポジションをもらえたので、本当によかったです」。この種目の初代金メダリスト、世界最速ボーダーはスマイルを振りまいた。

 兄、姉はスノーボードのトリノ五輪代表。本人も1歳からボードに乗った。高校2年でフリースタイルスキー・ハーフパイプの世界ジュニア王者。スキーの空中技の練習で始めたトランポリンでも高校日本一になり、12年ロンドン五輪代表候補に名を連ねた。夏冬の五輪代表が手が届くところにきたとき、悪夢に襲われた。

 13年4月。自宅でトランポリンの練習中にバランスを崩し、左足に重傷を負った。前十字、後十字靱帯(じんたい)断裂、半月板損傷、静脈破裂。担当医からは切断の可能性も示唆された。6カ月の入院生活で4度の手術を受けたが、腓骨(ひこつ)神経まひで左膝から下の感覚を失った。これがアスリートとして大きな転機にもなった。

 退院後に始めたウエークボードの大会で優勝した後、面識のない障がい者からSNSを通じてメッセージが届いた。「障害を持つ緑夢君が頑張っている姿を見て、勇気がわいてきました。ありがとう」。この時、初めてスポーツをする意味を理解したという。

 「それまでは大会で優勝しても何も感じなかった。何も考えずに五輪を目指していた。でも、違う。五輪がダメならパラリンピックでもいい。それ目指して挑戦する自分の姿が、見てくれる人たちの勇気や希望につながればいい」

 成田が「目の前の1歩に常にチャレンジ」「記録より記憶に残りたい」「メダルの色がほしいわけじゃない。影響力がほしい」と口にするのはそのためだ。

 挑戦は続く。障害を負った後、スノーボードに本格的に取り組んで1年余りでパラリンピックの頂点に立った。陸上短距離、走り幅・高跳びでも日本のトップレベルで活躍する運動能力を誇る。目指すのはパラリンピックはもちろん、五輪での夏季大会出場。競技・種目もトライアスロンや射撃にまで幅を広げて考えている。

 優しいスマイルの裏に秘めた決して折れることのない強いハート。「最高の大会になりました。今はこの喜びをじっくり、全力で味わいたいです」。成田は2つのメダルという記録とともに、見る人に大きな夢と記憶を残して初めてのパラリンピックを終えた。

 ◆成田緑夢(なりた・ぐりむ)1994年(平6)2月1日、大阪市生まれ。フリースタイルスキーHPでは13年の世界選手権9位、世界ジュニア選手権優勝。パラアスリートとしては陸上にも取り組み、昨年6月の日本パラ陸上選手権では走り幅跳び(T44クラス)で準優勝。兄童夢(どうむ)姉今井メロは06年トリノ五輪スノーボードHP代表。172センチ、63キロ。