はじめまして、川崎孝之です。今回から僕のコラムがスタートします。ライターを志す者として、自身の内にある思いを発信させていただく機会をいただけること、この上ない幸せです。一スケートファンとして、技術向上に努めるひとりのスケーターとして、僕が感じた思いの数々を発信していけたらなと思います。


陸上フィギュアスケーターとして注目された川崎孝之氏
陸上フィギュアスケーターとして注目された川崎孝之氏

 さて、まずは第1回ですので自己紹介をさせてください。

 愛知県半田市出身、26歳です。地元は田舎過ぎず都会過ぎない、海沿いの町でした。有名な「ごんぎつね」の物語を作った、新美南吉さんと同じ出身地ですね。

 血液型はA。とはいえ、血液と性格の相関はあまり信じません。自由だとか気まぐれだとか、一番は「変わっているね」小さな頃からそう言われてきました。うん、自分でもそう思います。僕ってなんか変なんです。だけど、それが不思議と嫌じゃなかったりもする。

 僕がフィギュアスケートを知ったのは、多分中学生の頃。兄と見ていたバラエティー番組、そこに出ていた安藤美姫さんがきっかけでした。「トリビアの泉(フジテレビ)」という、当時同級生の間でも大人気だった番組です。スケーターは回転マシンにかけられても目を回さないのかという、ちょっとおかしな実験の回、安藤さんが被験者でした。

 わずか10分程度の短いコーナー、だけど、僕は安藤さんに恋をしたのでした。なんてかわいらしい子なんだろう、なんて純粋な心を持っているんだろう、と。芸能人やアイドルにはそれほど興味がなかったけれど、テレビ慣れしていない若手アスリートの姿には妙な親近感を覚えたのです。

 それからというもの、テレビでスケートが放送されるたびにチャンネルを合わせるようになりました。いわば完全ミーハーなファン、だからもちろんルールも採点も知りません。ただひたすらに、「ミキティ頑張れ、転ばないで」、そう手を合わせて試合を眺めたのでした。

 そんな自分が、今のように熱狂的なスケートファン、いわゆるスケオタになれたのは大学生になった頃です。実は当時、人生で唯一自殺を試みた頃でもありました。それでも、そんなどうしようもない日常を救ってくれたものこそが、フィギュアスケートだったのです。


川崎孝之氏は昨年から氷上での練習を始めた
川崎孝之氏は昨年から氷上での練習を始めた

 自他共に認める「ちょっと変わっている」という性質、それについては上でも述べたとおりですが、高校を卒業したばかりの当時、それは何より受け入れがたいものでした。どうして僕だけ友達ができないの、どうしてこんなに感受性が強いの、どうしてそんな自分を変えられないの、心の中でそう自問しては傷つく日々。また、それを負い目に思っていたので、家族には何も話せませんでした。秘密が増える、本当の自分を偽ろうとする、距離が生まれ居場所がなくなる……。

 学校から帰るとただいまも言わず、自分の部屋に直行、そしてパソコンの前に座るのが日課でした。当時の趣味はインターネットで暴言を吐くこと、多分、そんな風に他者を否定することだけが自我の崩壊を防いでいたのだと思います。

 日に日にタイピングが速くなり、人の揚げ足を取る、欠点を見つけることばかりが上手になりました。

そんなある日、突然に僕はフィギュアスケートの動画にたどり着きました。これまで、1度たりともそんな検索をしたことはありません。だけど、どうしてだったのでしょう。その日に限っては、動画共有サイトで安藤美姫さんの演技を調べてしまったのです。

 これこそが人生を変えました。

 なんだろう、スケートを観ているときだけ嫌なことを忘れられる。安藤さんのジャンプを眺めていると心がスカッとする、気持ちを込めたパフォーマンスに心が動かされる。気付くと僕は、他人を攻撃することから、スケートの演技を観ることへと興味を移せるようになっていました。

 ご存じの方もいるのでしょうか。僕には、陸上フィギュアスケーターという肩書もあります。その、陸上フィギュア、それを始めたのもちょうどこの頃でしたね。

 憧れの安藤さんのようにジャンプを跳んでみたい、そんな純粋な興味が動機でした。ただ、氷上でスケートを滑るなどということは、あまりにも別世界の出来事に思えました。だから、遊び半分で陸上でやってみた、そんな感じです。

 そんな話をすると、「よくやろうと思ったね」、「普通はそうならないよ」と皆に言われます。でも、当時の僕はあまりにも不健康で、あまりにも時間を持て余して、正常な判断などとてもできなかったのでしょう。

 だけど、これは大きな自信をくれました。毎日ジャンプの練習をするようになって2カ月、突然に2回転が跳べたのです。2011年の1月でした。「うわ、できちゃったよ。絶対無理だと思っていたのに」、僕の心は180度ひっくり返されたような驚きでした。

 練習方法もわからずひたすらにがむしゃら、成長を感じない瞬間ばかりです。しかし、それでも向き合い続けたら、少しずつ回転が増えて、よくわからないうちにきれいに跳べるようになっていた。

 他人から見たら、ちっぽけな経験かもしれません。だけど、実はこれ、僕にとって初めての成功体験だったのです。

 無理だと思うことは無理なんだ、僕はこれまでずっとそう信じて生きてきました。だから僕は、ずいぶんと逃げることを正当化して、無自覚のまま逃げて生きてきたような気がします。傷つくことは少ないけれど、当然得るものだってなにもない。

 でも、このとき思いました。無理って思っていても、自分を信じられなくても、そこから逃げずにいたら変わっていることはあるのかもしれないな。

 7年前のこの気付きこそが、今の僕をもまだ、背中を押してくれているような気がします。

 そして今、僕は夢を追いかけています。ここでは、そんな夢の話をしたいです。僕が偉そうに語れることなんて何もありません。だから、強い部分も弱い部分もありのままに晒して、そこから読者の方が何かを感じくれる、そんな場所になることを願います。【川崎孝之】


 ◆川崎孝之(かわさき・たかゆき)1991年(平3)10月1日、愛知・半田市生まれ。安藤美姫さんの活躍をきっかけに、中学生からスケートファンに。19歳で編み出した陸上フィギュアスケートの活動が注目され、多数のテレビ出演を果たす。独特な経験を活かしたライター活動、また現在は、氷上でのスケート練習に励み、大人からの選手デビューを目指している。