無名だった石川晴菜(23=木島病院)の夢の舞台は終わった。1回目の終盤、少し振られ、ターンのリズムが狂った。2回目は修正したが、合計2分28秒99で33位。しかし、06年トリノオリンピック(五輪)以来3大会ぶりの日本女子の挑戦に「今できることはできた」と、初出場の五輪を振り返った。

 名門北海道・北照高時代、12年に全国高校スキーで回転、大回転の2冠。将来を期待されながら、同高卒業後は鳴かず飛ばず。2年後輩の安藤麻にワールドカップ(W杯)デビューの先を越され「悔しい気持ちだけだった」。W杯の下部に当たるファーイーストカップで転戦しても、優勝はなかった。母小百合さんは「当時はつらいことしかなかった」と言う。

 15年シーズンに全日本スキー連盟の強化指定選手を外され、すべて自費の遠征を余儀なくされた。「崖っぷち募金」と題して資金を募った。所属先もなく無職状態。アルバイトをするため4~5社の面接を受けた。そんな16年4月、国体のパーティーがあり、そこで石川県の国体帯同ドクターだった木島病院の院長と出会った。「うちに来ればいい」の誘いを受け、競技に打ち込める環境が整った。

 週5日、午前中だけ、同病院でリハビリの受け付けをしながら、練習を続けた。「患者さんから声をかけられて、心強い」。そして崖っぷちからつかんだ「小さい頃から夢見た場所」は、きっと石川の再スタートの舞台となる。【吉松忠弘】

17年12月27日、アルペンスキー全日本選手権技術系兼平昌五輪代表選考会 優勝した石川晴菜
17年12月27日、アルペンスキー全日本選手権技術系兼平昌五輪代表選考会 優勝した石川晴菜