【オリックス週間〈3〉野田浩司】日本新19Kの裏で「仰木マジック」に抗う続投志願

オリックス特集の第3弾は、阪神からトレードで移籍し、強烈な輝きを放った野田浩司投手です。27年たった今もなお保持している、1試合19奪三振の日本記録を振り返ります。(2020年12月26日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

プロ野球

1990年代の「世紀のトレード」で阪神からオリックスに移籍した右腕が、奪三振記録を塗り替えた。松永浩美との大型トレードでオリックス入りした野田浩司さん(52)は、93年4月21日近鉄戦の15奪三振に始まり、16、17とさらに記録を伸ばし、2年後の95年4月21日ロッテ戦で1試合19奪三振の日本記録を樹立。25年たった今も超える者のいない記録が生まれた日を、野田さんと振り返る。

阪神入団会見。梅田のホテル阪神で、村山実監督と=1987年12月10日

阪神入団会見。梅田のホテル阪神で、村山実監督と=1987年12月10日

◆野田浩司(のだ・こうじ)1968年(昭43)2月9日生まれ、熊本県出身。多良木から九州産交を経て87年ドラフト1位で阪神入団。93年、オリックスへに移籍し同年17勝で最多勝。95年4月21日ロッテ戦で1試合19奪三振のプロ野球日本新記録を樹立。00年限りで現役引退。通算89勝87敗9セーブ、防御率3.50。04年オリックス投手コーチに就任、1シーズンで退団。現在はNTT西日本などで指導を続ける。

?2回8失点KOの直後 

8メートルを超える風が、千葉マリンに吹いていた。センター上空からバックネット方向に吹き、高い球場の壁に当たって逆風に変わる。

野田は、強烈な向かい風を受けていた。「いややな…」。アンダーシャツの袖が震えるほどの風に、ため息が出た。

名誉挽回の登板だった。前回の西武戦。左の星野伸之と並ぶ右のエースが、2回8失点で降板した。

野田 自分の中でも自己ワーストだと思います。2回8失点は超裏切り行為。2回続けて首脳陣を裏切るわけにはいかなかった。

?画面にラップ マジックでなぞる

テレビ画面に調理用ラップを張り付け、好投時のビデオを流して頭や右肘の位置をマジックでなぞった。

西武戦のビデオと入れ替え、ラップに描いた絵との違いを確認。野田流の作業で投球フォームを見直し、21日に備えた。

準備も体調も整えただけに、向かい風が気に障った。だが、風は野田の味方になった。

野田 2回くらいからかな。フォークをこのへんで離せばこういう変化するとなんとなくつかんできた。風でブレーキがかかる。打者からしたら、振りに行ってもボールが来てない。直球も回転がよくて、下から浮き上がる感じでした。

5回を終え、13奪三振。驚異的なペースだった。

野田 不思議な感覚ですよね。これは行くんちゃうの、みたいな。残り4回で12アウト。4個取れば(当時の日本記録の)17に並ぶ。1-0の緊張感と、両方の感情でした。

?フォークを魔球に 風速8メートル

得意球のフォークを魔球にした風が、思わぬ形で三振ラッシュを助ける。

3回、フランコの邪飛が風に流され、右翼イチローが落球。7回には、一塁藤井が愛甲の飛球を落とした。命拾いした打者2人から、野田はいずれも三振を奪った。

3回に福良淳一の適時打で挙げた1点を守り、7回を終えて17K。

日本記録に肩を並べてベンチに引き揚げた野田の耳に「花束を用意しろ」というオリックス職員の声が聞こえてきた。残り2回で三振を取れば、新記録で完封を飾る。これ以上ない勝利が目前だった。

予兆を感じたのは、新記録達成の8回だった。

古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。