【米村理】故星野仙一さんがつないだ縁 社会人野球初の女子選手への期待/前編

指導者キャリアはプロ野球に始まり、高校、大学、中学野球へと移りました。そして今、社会人野球ショウワコーポレーションのゼネラルマネジャー(GM)を務めるのが、米村理さん(67)です。91年のオリックス2軍打撃コーチ就任から、35年にわたって野球界の各ステージで選手指導に携わってきました。根底にあるのは、楽天時代にコーチとして仕え、2013年のリーグ優勝、日本一をともに経験した故星野仙一さんへの思いです。星野さんへの恩返し、社会人野球に向き合う今を、2回にわたって伝えます。

プロ野球

★米村理GMが語った主な内容

  • 星野仙一さんがつないだショウワコーポレーションとの縁
  • そうそうたる指導陣が集結した背景
  • 社会人野球初の女子選手・水流麻夏への期待

◆米村理(よねむら・おさむ)1959年4月3日、奈良県生まれ。郡山(奈良)から77年ドラフト3位で阪急(現オリックス)入団。80年11月8日近鉄戦(藤井寺)で1軍初出場。83年には主に代打や守備固めとして1軍に定着する。88年に引退。出場281試合で打率2割6分6厘、7本塁打、29打点を残した。91年にオリックス2軍打撃コーチに就任。その後は横浜(現DeNA)、楽天などのコーチを歴任し、20年にノースアジア大明桜(秋田)のコーチに就任。23年にはノースアジア大監督に就任する。25年からショウワコーポレーションGMを務める。

92年 オリックス鈴木一朗(イチロー=右)と米村理コーチ

92年 オリックス鈴木一朗(イチロー=右)と米村理コーチ

35年の指導歴 社会人野球へ新たな舞台

グラウンドのどこにいても聞こえる大声が、トレードマークだった。選手の名を呼び「行くぞ~!」と声をかけ、ノックバットをふるう。動いて、話して、球界の後輩たちに向き合ってきた。

指導者として、91年のオリックス2軍打撃コーチに始まり、横浜(現DeNA)、楽天、ノースアジア大明桜(秋田)、ノースアジア大、関メディベースボール学院中等部のユニホームを着た。25年からは岡山・美作市を拠点とする社会人野球、ショウワコーポレーションのGMになった。社会人野球との縁をつないだのは、岡山県出身の亡き闘将だった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。