【この道20年】故障歴を反面教師に「一緒に行こう」/ヤ伊藤智仁コーチの哲学〈後〉

ヤクルトのリーグ2連覇を支えた伊藤智仁投手コーチ(52)の指導哲学とは-。後編では3度の右肩手術を行うなど自身の故障について振り返りつつ、影響を受けた故野村克也さん(享年84)、現在の高津臣吾監督(54)との関係についても語りました。(敬称略)

プロ野球

「僕がいない3年間に…」

伊藤は18年に独立リーグのBC・富山サンダーバーズの監督に就任。19年からの2年間は楽天でコーチを務めた。現役時代を含め、NPBで初めてヤクルト以外のユニホームに袖を通した。

伊藤楽天の2年間は自分にとって、すごく勉強になりました。遅れて出来たチーム(04年設立)ですけど、中に入ってみると、かなり進んでいる。そこでデータとか、いろんな勉強をさせてもらいましたね。

◆伊藤智仁(いとう・ともひと)1970年(昭45)10月30日、京都府生まれ。花園-三菱自動車京都を経て92年ドラフト1位でヤクルト入団。1年目に新人王。その後は3度の手術を受けるなど右肩痛に苦しみ、03年引退。通算127登板、37勝27敗25セーブ、防御率2・31。04年から2軍、08年から1軍の投手コーチ。18年にBC・富山の監督に就任。19年に楽天1軍投手チーフコーチ。21年から1軍投手コーチとしてヤクルトに復帰。185センチ、85キロ。右投げ右打ち。

ヤクルトを離れた3年間で経験を積み、復帰した21年からリーグ連覇を達成。トラックマンやホークアイのデータ分析など、学んできたことをしっかりチームに還元した。

伊藤非常に面白い3年間でしたね。今でも試行錯誤の最中ですし、僕がいない3年間の間にスワローズにもデータ分析のチームが出来た。そことコミュニケーションをとりながら、選手にどうやって落とし込むか、我々もトライしている最中です。そこにエラーはつきもの。毎回毎回、選手と向き合いながら、やるしかないのかなと。正解がどこにあるのか分からないですけど、やってみてどうかなという最中です。

原樹理の投球を見守る。自身の目に加え、データ分析もフル活用=2021年2月

原樹理の投球を見守る。自身の目に加え、データ分析もフル活用=2021年2月

「ノムさん野球の応用」

影響を受けた指導者について尋ねると、やはり野村克也さんの名前が真っ先に挙がった。 

伊藤やっぱりノムさんだと思います。プロに入って一番最初の監督ですし、そこで野球の根本といいますかね。そこを今の時代、ノムさんの野球をどうやって応用していくのかというのが、我々の仕事かと思いますし、責務じゃないかなと思います。

現役1年目に右肘を故障。野村さんはそのことに責任を感じていたようだが、伊藤コーチは冷静に当時を振り返る。

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