ロッテ吉井理人新監督の「ワシ流」指導論 原点は水戸黄門、暴れん坊将軍、大岡越前?

ロッテ吉井理人新監督(57)は、公式の場では「私」「自分」と表現し、リラックスの場面では一人称が「ワシ」に変わることもよくあります。令和の世にワシ。背景に迫ると、面白エピソードがありながらも、不思議と新監督の目指す野球にもつながっていきました。“ワシ流”でハートをつかみます。

プロ野球

若い時は「ボク」 「オレ」は…恥ずかしい

吉井監督は打のホープ、山本大斗外野手(20)を「ダイナマイト山本」と命名した。

その調子なら、投のホープの中森俊介投手(20)はまさか…明菜とか? 念のためそう問いかけた報道陣に笑う。

「あいつらはその年代じゃない。ワシは好きやけどな」

ワシ。一人称として使う人は割と少ない。なぜワシ? いつからワシ? いろいろ気になってしまう。

「あぁ、ワシって言うねぇ。いつからやろ。もう覚えてない。若い頃はボク、って言ってたんやけども」

ボクの「ボ」にアクセントを置き、半ば笑わせに来ているような吉井監督。本当ですか?

「ほんと、ほんと」

右は吉井監督命名の「ダイナマイト山本」。左の中森俊介の呼び名は「明菜」ではなく…

右は吉井監督命名の「ダイナマイト山本」。左の中森俊介の呼び名は「明菜」ではなく…

間髪入れずに答えながら、そのまま回想が続く。

「若い時はボク言うてて。みんなオレとか言い出した時に、オレっていうのがちょっと自分の中で恥ずかしくって。オレって柄じゃないなぁと。気がつけばワシになっとったみたいな」

オレって柄じゃない-。なぜそう思うのだろう。ハテナが止まらない。

「なんか、都会っぽく感じて。自分、いなかもんなんで、若い頃。いなかもんがオレって言うの、なんか恥ずかしかったかな」


和歌山・吉備町のスター東尾修と同じ「21」

1965年(昭40)4月20日生まれ、和歌山県の吉備町(現・有田川町)で育った。現在なら和歌山市街地から高速道路を使って、車で40分ほど南下したところにある街だ。

◆吉井理人(よしい・まさと)1965年(昭40)4月20日、和歌山県生まれ。箕島から83年ドラフト2位で近鉄入団。88年最優秀救援投手。95年トレードでヤクルト移籍。97年オフにFAでメッツ入団。ロッキーズ、エクスポズを経て、03年オリックスで日本球界復帰。07年途中ロッテに移籍し同年引退。日米通算121勝129敗62セーブ、防御率4・14。08年から日本ハム投手コーチ。ソフトバンク、日本ハム、ロッテでも担当し、今年はロッテのピッチングコーディネーター、日本代表投手コーチ。187センチ、89キロ。右投げ右打ち。

「海、山、川しかなくて。平地がほとんどない。河岸段丘みたいな感じで、そこに家がポツポツあるって感じで。自分のところは海というよりは山、川。何もなかったですね。最寄りの駅まで、どれくらいやろ、車で20分とか、そんな感じで」

紀州の原風景を笑いながら思い出す。

「遊ぶのも山、川。なんで、ピロリ菌は絶対胃の中に入っとる。自転車運転しててバキッともぎ取りたくなるくらい、みかんもそこら中にあって。いや、悪いことはしてないですよ」

1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。