【特別編集委員コラム】取材再開を機に、手帳の山を読み返して…リスタート/連載1

新年度の4月、日刊スポーツに「特別編集委員室」が立ち上がりました。取材経験が豊富、かつ表現力が豊かなライター集団。「日刊スポーツ・プレミアム」を中心に、健筆を振るいます。トップバッターを務める飯島智則編集委員は、コラム「飯島智則 手帳の余白」を随時掲載。どうぞお楽しみ下さい。

プロ野球

飯島編集委員の手帳。スケジュール管理を手帳で行う記者は多いが、要点を丁寧に書き残し、保管したことで貴重な資料に

飯島編集委員の手帳。スケジュール管理を手帳で行う記者は多いが、要点を丁寧に書き残し、保管したことで貴重な資料に

はじめまして…の方も多いと思います。飯島智則です。

1993年(平5)に日刊スポーツに入社し、主にプロ野球の担当記者として仕事をしてきました。2018年(平30)12月から4年半、営業部門に異動していたので、記事を書くのは久しぶりになります。

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。

何を書こうかと迷い、入社以来、保存している手帳を見直してみました。毎年1冊を使っています。

最初は会社の手帳、野球担当になってからはセ・リーグ手帳、NPB手帳…そして巨人担当をしていた2002年(平14)からはシステム手帳を使うようになりました。

この頃から万年筆を使うなど文具にこだわるようになったのです。理由は長嶋茂雄さんにあるのですが、それは別の機会に書きます。

手帳を見直すと、忘れていた内容もたくさんあります。

入社後の数年は、飲み会の予定ばかりです。ろくに仕事もしないで遊んでいたと分かります。

横浜(現DeNA)の担当として38年ぶりの優勝を取材した1998年(平10)頃から、少しずつ成長の跡が見られます。

巨人担当としてONシリーズを取材した2000年(平12)になると、松井秀喜選手が「4番打者」について語った言葉、清原和博選手との内緒の話もあって、書いた自分でも楽しめます。

「開幕メニュー」とあるのは、松井選手が2000年シーズンの開幕日、球場に入る前に行きつけの料理店で食べたメニューですね。

広島、名古屋と続く遠征の予定に「清原―清原―松井―由伸―松井」とあり、何のことかしばらく迷いましたが、おそらく食事に行く約束でしょう。かなり頑張って取材していたようです。まあ、この方々との食事が仕事とは、何とも楽しい生活を送っていたものです。

松井選手のヤンキース移籍に伴い、大リーグ担当になった2003年(平15)からは、打撃に関わる内容やイラスト絵が多くなります。1人の選手を追いかけるようになり、技術的な面に目が向いたことがうかがえます。

左ページにある「シカゴカルビ」の名も懐かしいです。シカゴにある焼き肉店で、遠征時にはよく通いました。

さて、53歳で再び取材する立場となり、当時のように体は動きませんが、テーマを定めて走り回る覚悟です。

これからの手帳を埋めていくメモ、そして過去の手帳に書いてある内容など、さまざまを紹介していきたいと思います。

読者の皆さま、どうぞよろしくお願いします。

編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。