【金足農連載〈19〉】イラついた日、父との安打、後輩への期待…3年生、最後の思い

金足農(秋田)は夏の甲子園1回戦で西日本短大付(福岡)に4-6で敗れ、2018年(平30)のような旋風にはなりませんでしたが、9回の猛反撃などでスタンドを大いに沸かせました。対外試合禁止の処分も経験した3年生が、伝統を次世代につないだと言っていいでしょう。

高校野球

大輝をリード

3年生の姿を探した。

試合後の代表インタビューには、中泉一豊監督とエース吉田大輝(2年)が呼ばれた。確かに、試合の記事を書くなら、この2人のコメントは欠かせないだろう。

しかし、私は吉田の横を通り抜け、全選手がそろう控室に向かった。

3年生の話を聞きたかった。9回表の追い上げも届かず、西日本短大付に敗れ…高校野球を終える選手たちと話したかった。

最初に話しかけたのは相馬英典捕手。勝ち気な吉田を巧みにリードするばかりでなく、9回に犠飛を放ったように勝負強い打撃も持ち味である。

9回表無死二、三塁、相馬は左犠飛を放つ

9回表無死二、三塁、相馬は左犠飛を放つ

ただ、この日は1回裏にバッテリーミスから失点を喫した(記録は吉田の暴投)。相馬には、立ち上がりをリードしきれなかった悔いが残っていた。

「試合の序盤、自分たちのペースで進められませんでした。吉田は立ち上がりがちょっと良くなかったけど、踏ん張って、本当によく投げてくれました。自分がもっと初回からリードして、立て直してあげたかったです」

100キロ程度の緩い球を使っていた。秋田大会ではあまり多投しないボールだった。

「カーブですね。相手が打のチームと聞いていたんで、緩急をうまく使っていこうとチームで決めていたんです。でも、今日の吉田は変化球が抜けてしまっていたので、自信の真っすぐに切り替えて押していけばよかったかなと思います」

エースをかばうコメントを繰り返した。相馬は、いつもそうやって吉田を守ってきた。

どんなチームだったか? そう問うと、彼は即答した。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。