【特別編集委員コラム】プロ初勝利まで最も遠かった男 ベンチ裏での息づかい/連載5

新聞を読んでいたら、26年前を思い出しました。

5月7日に日本ハム田中正義投手が、プロ7年目で初勝利を挙げました。その記事についている記録コーナーに、こんな記述がありました。

「ドラフト制後、初勝利に最も年数がかかったのは97年西(横浜)の13年がいるが、西はドラフト外」

プロ野球

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。

プロ初勝利を挙げ記念ボールを手に撮影に応じる日本ハム田中正

プロ初勝利を挙げ記念ボールを手に撮影に応じる日本ハム田中正

13年目 横浜西清孝

横浜(現DeNA)西清孝投手のプロ初勝利、私は横浜スタジアムで取材していました。1997年(平9)4月25日のヤクルト戦でした。

6-6の同点で迎えた9回表、西がマウンドに上がり無失点に抑えました。その裏、先頭の石井琢朗選手が三塁打でチャンスを作り、代打の井上純選手が犠飛を放って決めました。そのため西に白星が転がり込んできたのです。

ヒーローインタビューには石井と井上が呼ばれ、私はベンチ裏で西に話を聞きました。彼は照れたような笑みを浮かべながら、ぽつりぽつりと話しました。

「僕は打たれたら終わり。いつもクビになる危機感があります。でも、こんな形で勝てるなんて、一生懸命やってきてよかった」

1984年(昭59)にドラフト外で南海に入団するも、相次ぐ故障で力を発揮できず、トレード先の広島を解雇された後、打撃投手を兼任する形で横浜にきました。

常に崖っぷちの西は、2軍だろうと、負け試合だろうと、右打者の胸元をシュートで攻めていきました。普段の優しく温厚な人柄からは想像もできないほど、強気の投球でした。このシュートが首脳陣に評価され、1軍のチャンスをつかんだのです。

横浜時代の西投手

横浜時代の西投手

ヤクルト野中は10年目…ドラフトから14年目

田中の記事には「ドラフト1位入団で初勝利が遅かった投手」という表もついていました。

もっとも遅かったのはヤクルト野中徹博投手。1997年5月27日の横浜戦で、プロ10年目にして初勝利を挙げました。この試合も私は取材しています。

野中は中京高(現・中京大中京)から1983年のドラフト1位で阪急に入団します。計算の速い方は、数が合わないことに気付くでしょう。本来はプロ14年目に当たるわけです。

阪急に入団した直後の野中投手

阪急に入団した直後の野中投手

しかし、野中は1989年限りで戦力外通告を受け、野球界を離れます。右肩を痛め、最後の年は野手に転向していました。

その後、ラーメン店の修行やサラリーマン暮らしをしながら現役復帰の道を探り、94年に中日入りを果たします。そのためプロ10年目なのですが、ドラフト指名されてからは14年の月日が流れていました。

「ここまでがすごく長くて、自分には運がないのかなと思ったこともあります。でも、いつか勝てるんじゃないかという思いでやってきました」

インタビューの途中で感極まったのか、言葉が途切れていました。

97年にプロ初勝利を挙げた野中投手

97年にプロ初勝利を挙げた野中投手

プロの壁にぶつかりながらも、あきらめず、苦闘の末にチャンスをつかむ。そんな姿にも、プロのすごみを感じます。

田中は28歳と若い選手ですから、ピークはこれからでしょう。今後の躍進を期待しています。

編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。