【ビジネスマン刮目】ヤクルト髙津臣吾監督の「絶対に大事だと思う」人生哲学/連載Ⅰ

日本におけるスポーツ産業で、NPBはトップを走り続けています。そのステージで、日本一、リーグ連覇を就任3年でつかんだヤクルト髙津臣吾監督(54)は、組織を動かす上で何を大切にし、どのような考え方で「人」と接しているのでしょうか。選手、コーチ、スタッフ計124人を束ね、リーグ3連覇を目指すリーダーシップに迫る「髙津ノート ~セ・リーグ連覇監督のマネジメント論~」(不定期連載)を開始します。第1回は、交流戦開始のタイミングで、ここまでのシーズン3分の1を振り返りました。

プロ野球

◆髙津臣吾(たかつ・しんご)1968年(昭43)11月25日、広島県生まれ。広島工―亜大を経て90年ドラフト3位でヤクルト入団。最優秀救援投手4度。03年オフにFAでホワイトソックス移籍。メッツ、ヤクルト、韓国ウリ、台湾興農、BC新潟を経て12年引退。日本通算286セーブは歴代2位。日米通算313セーブ。日本シリーズは93、95、97、01年の4度出場し、すべて胴上げ投手。14年に1軍投手コーチでヤクルトに復帰し、20年から監督。21年に20年ぶりの日本一を達成し、正力松太郎賞を受賞。22年1月にプレーヤー部門で野球殿堂入り。22年はセ・リーグ優勝。日本シリーズではオリックスに2勝4敗1分けで敗れた。右投げ右打ち。

大きな目標が…

就任4年目。追われる立場の髙津監督は2月のキャンプから、冷静にチーム状況を見ていた。就任2年目でリーグ優勝と日本一。3年目でリーグ連覇を果たし、他球団が黙って見過ごすはずがない。

「キャンプの時から『みんな』で戦わないと歯が立たない、勝てないと思っていた。だから現場の我々、フロントはもちろん、トレーナーも中心となって、けが人を出さないで戦おうという大きな目標を掲げてスタートしたんだけれども…」

年始から「自分のペースでけがなく10月まで戦える体を」とテーマを掲げたが、けが人が出てしまった。

3月31日、神宮

3月31日、神宮

「塩見(泰隆)をはじめ、今年は先発ローテーションに入ると思っていた山下(輝)がキャンプのブルペンに1回入ってダメとなってしまった。昨年から今年にかけたオフにいろいろな治療やトレーニング、ケアをもう少ししっかりやっておけばという反省はある」

山田の2番「気分転換」

交流戦前の戦績は17勝28敗で借金11、首位阪神とのゲーム差は14と、シーズンの約3分の1を終え、苦境に立たされている。

リーダーとして、ピンチに置かれた組織を向上させる施策の1つとして「変化」でチームに刺激を入れる。不動の3番・山田哲人内野手(30)を2番に置いた5月21日DeNA戦(横浜)もその一環だった。

2番に入った山田。4回に12試合ぶりの5号ソロを放った=5月21日、横浜スタジアム

2番に入った山田。4回に12試合ぶりの5号ソロを放った=5月21日、横浜スタジアム

「僕は3番、4番は山田とムネ(村上宗隆)と決めているので変えるのは意外と勇気がいる。その感情があっての2番なんですよ。目的は気分転換。何かが大きく変わるわけではないんだけど、3番に誰かを置いてムネ(村上)につなげられるとか、何かチームにとっても変わった流れや、効果が生まれたらいいという思いだった」

4月末に7連敗。交流戦直前には10連敗を喫した。厳しい状況に立たされた時、指揮官はチームにどのようなメッセージを送るのだろう。「前向きに明るく」なのか、それとも厳しさを前面に出すのか。しかし、そのどちらでもなかった。

本文残り66% (2502文字/3766文字)