「何でもあり」のラストスパート 勝利ボーナスも開始/連載15

横浜DeNAベイスターズの25年…四半世紀ぶりの優勝を祈念する企画連載の第15弾は、マジック点灯に向けたラストスパートです。残り30試合を切り、権藤博監督は佐々木主浩らリリーフ投手の起用法を変える方針を示唆しました。前年1997年に右肘を手術した斎藤隆投手が722日ぶりの完投勝利を挙げた9月16日の試合からは、地元団体などから提供された勝利ボーナスも始まりました。いよいよマジック点灯が目前です。

プロ野球

大魔神の起用も変わる

9月7日。午前11時前に名古屋駅に現れた権藤博監督は、数人の報道陣に囲まれました。

残り29試合。前日までの2位中日との直接対決に3連勝し、マジック点灯が見えていました。

記者から「ラストスパートで、ここから戦い方は変わりますか?」という質問が出ました。権藤監督は2月のキャンプ中から「最後の直線になったら戦い方を変える」と宣言していました。点差にかかわらず、クローザー佐々木主浩を投入するという意味です。

権藤監督は信念を持って投手を起用した

権藤監督は信念を持って投手を起用した

「まだ早い。最後の直線っていうのは残り20試合を指しているんだよ。ただ、いよいよ、そういう時期にきたと思う。もちろん、これまで通りの戦い方で勝てれば一番いいけどな」

投手の登板過多を防ぐため、中継ぎ投手もローテーションを組み、クローザー佐々木主浩もセーブがつく場面の起用に限定していました。そうしなければ長いシーズンを乗り切れないと考えていたのです。

しかし、最後の直線…ラストスパートは短期決戦と同じ戦い方で勝利をつかんでいく。

「ラストスパートまで優勝の可能性が残っているかどうか。監督の仕事はそれに尽きる。そこからは何でもありだよ」

佐々木も、監督の方針をしっかりと理解していました。

「これからは同点でも登板があるだろう。とにかくオレは権藤さんに任せているからね」

セ・リーグ首位のまま、最後の直線にさしかかろうとしていました。

佐々木は、権藤監督の投手起用を信頼していた

佐々木は、権藤監督の投手起用を信頼していた

翌8日のヤクルト戦(横浜)は、セーブがつく2点リードで9回を迎えると、佐々木は5連投となるマウンドに立ちました。

1軍の公式戦は初開催という相模原球場で、きっちりと抑え、シーズン最多タイの38セーブ目をマークしました。前年、自身と宣銅烈がつくった記録に並んだのです。

「みんな全然注目してくれないけど、一応記録だよね」

佐々木がそう笑ったのは理由があります。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。