
清原和博さんが流した涙の理由 甲子園、そして息子への思い/連載18
慶応が107年ぶりの甲子園優勝を成し遂げた直後、清原和博さんは涙を流していました。次男・勝児が同校メンバーとしてプレーし、調べられる範囲でいえば、史上初となる親子2代の甲子園大会の制覇を果たしました。もちろん勝利そのものもうれしかったでしょう。しかし、清原さんは、息子の活躍、勝利だけを願っていたのではないと思います。慶応高が神奈川大会から戦った全12試合のうち、10試合を隣で見た記者が、清原さんの思いに迫りました。
高校野球
「甲子園にまぐれはない」
まさか、甲子園で清原和博さんと並んで座り、高校野球を観戦する日がくるとは思いませんでした。
慶応は神奈川大会から甲子園の決勝戦まで全12試合を戦いましたが、私はそのうち10試合を清原さんと並んで観戦する機会に恵まれました。
神奈川大会はチケット売り場の行列に並び、一般席に座りました。開門と同時に2人で足早に球場に入り、見やすい席を探しました。あまりの暑さに、大量に用意しておいたペットボトルの水をすべて飲み干してしまい、売店でかき氷を買って涼をとったり、周囲の観客と会話をしたり…いい席が取れなかった日は観客の方から「席を交換しましょう。いい席から息子さんを応援してください」と声をかけてもらったこともありました(丁重にお断りしました)。
甲子園では混乱や危険を避けるため来賓席に座りましたが、現役時代は常にグラウンドの中心にいた清原さんにとって、スタンドでの観戦は初めての貴重な体験になったと思います。
甲子園では毎試合、バックスクリーンの大型ビジョンにPL学園時代の清原さんが映りました。映像の中で18歳の清原選手は、左中間スタンドにホームランを放ち、両手を上げてガッツポーズをします。その姿を、56歳になった清原さんはじっと見つめていました。
そんな横顔を見ていたら、数年前、高校時代について聞いた話を思い出しました。甲子園大会が終わり、帰宅してからメモ帳を引っ張り出してみました。
「高校時代の甲子園は、どんな場所でしたか?」
漠然とした私の質問に対し、清原さんはしばらく考えた後、こう答えています。
甲子園はどれだけ努力したかが試される。努力して、努力して、努力して……歯を食いしばって、涙を流して、どれだけ自分を追い込んで、自分をいじめてきたかを試される。
そうやって強い心を持っていないとバッターボックスで初球からフルスイングできない。投手ならマウンドで、2死満塁カウント3-2で腕を振って投げられない。「お前はどれだけの努力をしてきたんだ?」。甲子園がそう問いかけてくるんだ。
だからオレは甲子園に「まぐれ」はないと思っている。他の球場では、まぐれのホームランもある。でも、甲子園だけは、まぐれで打てない。
そして3年春のセンバツで伊野商・渡辺智男投手に3打数3三振を喫した苦い思い出を語っています。
この日の夜はメシも食わず、泣きながらバットを振ったな。
(桑田真澄と)1年生コンビと言われたオレたちも、残されたチャンスは夏だけになった。伊野商に負けた日からチーム内で「悔いを残すな」が合言葉になった。オレはキャプテンの松山(秀明)と「夏まで…夏に甲子園で優勝するまで、毎日2人でバットを振ろう。とことんバットを振ろう」と約束したんだ。
でも、どれだけ振っても不安が残る。「これで打てるのか?」「これで勝てるのか?」。その不安を吹き飛ばすために、またバットを振った。
「今夜バットを振るかどうか?」
そういえば、昨年の10月29日にこんな言葉を耳にしました。慶応は関東大会の準決勝で専大松戸に敗れました。清原さんの次男・勝児が最後のバッターでした。
試合が終わり、選手たちがあいさつをするグラウンドを見ながら、清原さんは「今夜、勝児がバットを振るかどうかだな。センバツ当確のベスト4を喜ぶだけか、それとも打てなかった悔しさを行動に移せるか」と、ポツリと口にしました。
相手投手はプロ注目の平野大地投手でした。全国でも屈指の好投手を打てなかった悔しさを、次にどうつなげるか…。
自分がそうであったように、悔しさを胸に、歯を食いしばってバットを振ってほしい。それがどれほど貴重で、尊い時間か…清原さんが、勝児に味わってほしいと願ったものは、ここに集約されているのではないかと思います。
そして、勝児はこの夜バットを振っていたと、後日、清原さんはうれしそうに話してくれました。
勝児はセンバツまでは背番号5でしたが、夏は15となり、ベンチスタートが続きました。ベンチで声を出し、仲間をサポートし、代打としての1打席にかける。その姿を清原さんは何も言わず、じっと見つめていました。
清原さんが大会本部を通じて発表したコメントには、そんな息子への思いが込められていました。
春のセンバツ大会は背番号5でしたが、今夏は15。誰よりも本人が悔しいでしょうが、それでも懸命にチームに貢献しようという姿が見られます。僕の甲子園13本塁打より価値があると思っていますし、親として尊敬の念を抱いています。先の人生で必ず生きてくると思います。
勝児は優勝の喜びも、スタメンで出場できなかった悔しさもあるでしょう。まだ野球人生は終わっていないし、しばらくゆっくりと高校生らしい生活を送った後、どこかで線を引いて次の目標に向かってほしい。私の息子であり、注目され、試合に出なくても取材を毎回受けるなど、苦しさもあったと思います。しかし、きちんと対応して、立派に育ってくれたなと感じました。褒めてあげたいです。
清原さんは甲子園で史上最多の13本塁打を放ったスーパースターで、成績でいえば勝児は遠く及びません。しかし、悔しさや不安、そして期待を胸にバットを振った時間は何ら変わりません。ホームランやヒットの数ではなく、その時間こそが何よりも大切な、親子の心をつなぐ「絆」なのだと思います。
慶応が優勝を決めた直後、清原さんはタオルで何度も目の付近をぬぐっていました。
涙の理由は、優勝を喜ぶというよりも、そこに至るまでの勝児の努力、歯を食いしばってきた過程に対する敬意なのでしょう。
清原さんが体験した厳しいPL学園の野球と、慶応の自由なエンジョイベースボールは、まったく異質かもしれません。しかし、根底に流れるものは同じではないかと、清原さんの隣に座りながら、そんなことを考えました。
そして、優勝した慶応、準優勝の仙台育英はもちろん、夢中になってボールを追い続けた全国の高校球児たちに、大きな拍手を送りたくなりました。
◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。
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日刊スポーツに「特別編集委員室」が立ち上がりました。取材経験が豊富、かつ表現力が豊かなライター集団。「日刊スポーツ・プレミアム」を中心に、健筆を振るいます。飯島智則編集委員は、コラム「飯島智則 手帳の余白」を随時掲載。どうぞお楽しみ下さい。

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。
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