大谷翔平の手術に思う 松井秀喜の手術秘話とダヴィンチ手術/連載19

エンゼルス大谷翔平選手(29)が米国時間19日(日本時間20日)、米国ロサンゼルスの病院で右肘の手術を受けたと、球団が発表しました。「手術に臨む決断だけでなく、術式、執刀医の選択でも悩んだのではないだろうか」。そう見るのは、松井秀喜さん(49)の大リーグ時代、公私にわたってサポートした広岡勲氏(56=江戸川大学教授など)です。術後にワールドシリーズMVPを取った松井さんと同じように、大谷のパフォーマンスが戻ることを願うばかりです。

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執刀医は15人リストから

「大谷選手は、手術の決断まで迷っただろうな。球団、周囲の人も含めて大変だったと思いますよ」

東京・大田区にある和食店のカウンターに座り、右肘の手術を決めたエンゼルス大谷翔平選手について話していました。

相手は広岡勲さん(56)。巨人軍のアドバイザー、日本相撲協会の理事補佐(危機管理担当)、江戸川大学の教授…さまざまなジャンルで活躍していますが、なんと言っても大リーグ時代の松井秀喜さんを支えた功績が光ります。

ヤンキースを始め、松井さんが所属した4球団で10年間、球団広報を務めました。松井さんには絶対に欠かせないパートナーでした。

ヤンキース時代の2006年8月、左手首の違和感を訴えた松井(左)に代わりキャッチボールで捕球する広岡広報

ヤンキース時代の2006年8月、左手首の違和感を訴えた松井(左)に代わりキャッチボールで捕球する広岡広報

「でも、右肘の靱帯(じんたい)を損傷しているのだから、手術しかないですよね。これから活躍するためにも、迷う必要はなかったのでは?」

そば焼酎のそば茶割りを飲みながら、私はそう言いました。野球界において、肘の手術は珍しくありません。大谷自身も2018年オフに右肘内側側副靱帯の再建手術…通称トミー・ジョン手術を受けています。しかし、広岡さんは「そんなに簡単ではない」と言います。

「手術をすると決めても、術式、ドクター、治療法によって、復帰までの期間や復帰後のパフォーマンスが大きく変わってきますよ。松井のときも、手術を決めるまでが大変でした」

松井さんはヤンキース時代に3年連続で手術を受けています。2006年5月の左手首はプレー中のアクシデントによる緊急手術ですから、迷う時間はありませんでした。翌2007年11月に右膝の軟骨を除去する内視鏡手術、2008年9月には左膝の軟骨を除去しています。この頃のことです。

2008年9月、左ひざの手術を終え、杖をついて歩く松井

2008年9月、左ひざの手術を終え、杖をついて歩く松井

「チームドクターによる精密検査はもちろん、別の医師によるセカンドオピニオンで、他の選択肢を探ることも大切。それから、執刀医を決めるのも簡単ではありません。代理人のアーン・テレムが、15人ぐらいのリストを作ってくれて、その中から検討しました」

松井さんが右膝を手術した2007年の報道を見ると、確かに決断を迷った形跡がみられます。同年11月3日付の日刊スポーツには、次のように書かれています。

松井は6月下旬から右ひざ痛に悩まされた。これまで9月30日にチームドクター、そして10月には別の2人の医師から診察を受けた。巨人時代の98年に左膝を痛めた際に治療にあたった日本人の主治医にも相談し、手術をするかどうかを検討してきた。松井は「手術なしで良くなるとは思わなかった。代理人の紹介でバスケットボール選手にも話を聞いた」と熟考の末の決断と強調した。

大谷の報道でも、同じような記述があります。米国時間9月16日、エンゼルス・ミナシアンGMの会見を、日本時間18日付の紙面で次のように報じています。

エンゼルスのミナシアンGMは、大谷が右肘の手術を受ける予定であることを公表したが、詳細は明かさなかった。手術の種類や具体的な治療法を問われ「まだ、詳細を把握していない。いつ、どこで、どんなものになるかも分からない」と話すにとどめた。(中略)結論は大谷と代理人側に委ねられており、同GMは「彼らが方針を固めたら、話し合うことになるだろう。基本的には彼らが、どういう風にしたいか決断を下すことになる。どんなものでも尊重する」と話した。

水面下では、松井さんの時と同じようなやり取りがあったものと推測できます。

2019年2月、大谷の右肘には手術の痕が痛々しく残っていた

2019年2月、大谷の右肘には手術の痕が痛々しく残っていた

医師もMVPの一因

松井さんの執刀医はスコット・ロデオ医師に決まりました。内視鏡手術の権威で、ひざ、肩関節の手術に精通していると有名な医師です。米プロフットボール(NFL)のニューヨーク・ジャイアンツ、2004年アテネ五輪米国代表チームのチームドクターを務めた経験もありました。

松井さんは翌2008年の左膝手術もロデオ医師に執刀してもらっています。

「両膝を手術した後の2009年、松井はワールドシリーズでMVPを取ったでしょう。彼自身の努力はもちろんだけど、ロデオ医師と出会えて、執刀してもらえたおかげでもある。だから、大谷選手もそういう出会いがあればいいなと思うんですよ」

そう言って、広岡さんもそば焼酎のそば茶割りを飲みました。彼がお酒を飲む姿を見るのは久しぶりです。

広岡さんは7月下旬、心臓の手術を受けています。僧帽弁形成術という大手術でした。このときも、術式や執刀医などを徹底的に調べたそうです。

「1度心臓を止めるというのだから、真剣に調べましたよ。調べているうちに術式によってさまざまなアプローチがあり、高度な技術力が必要とされることが分かりました。素晴らしい医師に出会えたから、また元気に仕事ができて、こうやってお酒も飲めるんです。明らかに手術前より体調がいいです。新たな心臓を取り付けてもらった気分です」

執刀医は千葉西総合病院の中村喜次医師で、今回は内視鏡下手術支援ロボット「ダヴィンチ」を用いて手術が行われました。中村医師はダヴィンチを使った手術のエキスパートといわれ、症例数はトップクラスを誇り、心臓血管外科分野では国内A級認定医の第1号とされています。

中村喜次医師(写真提供・千葉西総合病院)

中村喜次医師(写真提供・千葉西総合病院)

広岡さんは、中村医師にかけてもらった言葉に勇気付けられたといいます。

「松井さんは手術の後でワールドシリーズMVPを取りました。広岡さんが受けた僧帽弁形成術は、英語でmitral valve plasty、通称MVPと言われています。だから同じMVPなんですよ」

2009年11月、ワールドシリーズを制覇し、MVPに選ばれて笑顔でトロフィーを掲げるヤンキース松井

2009年11月、ワールドシリーズを制覇し、MVPに選ばれて笑顔でトロフィーを掲げるヤンキース松井

「2025年には二刀流」

大谷は米国時間19日に手術を受けました。この日の発表で術式は明かされませんでしたが、前回に続いて執刀したニール・エラトロシュ医師は、術後に「何も制限なく2024年シーズン開幕には打者で出場し、来る2025年は両方(投打)の準備が整う」という頼もしいコメントを発表しています。

再び、大谷の力強い投球が見られる日が待ち遠しい

再び、大谷の力強い投球が見られる日が待ち遠しい

術後のリハビリ、トレーニングなどハードルは多々ありますが、それを乗り越えて再び投打で活躍する姿が見たいものです。松井さん以来となる、ワールドシリーズのMVPも見たいですね。シーズンを通した活躍はもちろんですが、WBCでも分かるように、短期決戦の輝きも大谷の魅力です。

さて、心臓の大手術から復活した広岡さんは「1度死んだと思って、先生方に救ってもらった体を大切にしながらも、仕事を頑張っていきたいですね」と話していました。

松井さんが指導者として日本のプロ野球界に戻ってきたときは、必ず広岡さんのサポートが必要になります。〝MVP〟コンビで、日本球界を盛り上げてほしいものです。

ところで松井さんは引退から10年が経ちましたが、いつ日本球界に戻ってくるのですか? そもそも戻ってくる気はあるのでしょうか?

酔った勢いで何度も聞きましたが、広岡さんは笑っているだけでした。

2006年2月、フォトデーでカメラマンの注文にこたえ、デレク・ジーター(左)とポーズを決める広岡広報

2006年2月、フォトデーでカメラマンの注文にこたえ、デレク・ジーター(左)とポーズを決める広岡広報

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。

編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。