たけし軍団に負けた虎、ピンクレディーの大投手、Tバックの現監督…ファン感の歴史

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。今回はプロ野球の恒例行事「ファン感謝デー」の第2弾です。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

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悲劇か喜劇か…阪神は13位?

平成から令和にかけてのファン感謝デーを見ていこう。

平成初期のトピックスといえば、たけし軍団だろう。1991年(平3)、この年セ・リーグ最下位だった阪神タイガースは、ファン感謝デーで北野武率いる「たけし軍団」と対戦し、2ー4で敗れた。

勝手の違う軟式球を使い、もちろんファンサービスの一環である。しかし、ペナントレースで首位広島に26ゲーム離され、5位大洋にさえ16ゲームの差をつけられただけに、大きな話題になった。

11月24日付の紙面は「虎は敗れて恥をさらす」「たけし軍団にやられた~」「2万4000観衆の目の前で…悲劇か喜劇か〝衰虎伝〟」と、手厳しい見出しが立っている。

1991年11月24日付紙面

1991年11月24日付紙面

「たとえ余興でも負けてはいけませんね」。三好球団社長がこう言って苦笑すれば、沢田球団代表は力なく「シャレになりませんな」。ファンサービスのつもりで試合を延長したのだが、思いもかけぬ悲劇? を招いた。

当初は5回で終わる予定だった。それが1点を争う好試合となってハイテンポで進み時間に余裕ができた。そこでもう1イニング追加したところ、たけし軍団の猛反撃が始まった。

試合は5回の予定で始まり、後攻の阪神は5回表を終えた時点で1-0とリードしていた。本来なら勝利である。だが、展開が早かったため試合を続けることになり、阪神は5回裏に1点を追加した。しかし、6回表、たけし軍団は2点を追う6回表、ノーカット星の適時打で1点を返すと、井手らっきょが2ランスクイズを決めて逆転した。

記事を続けよう。

「まさかスクイズをしてくるなんて思いもしなかった」と横谷。秋季安芸キャンプで一体何をしていたのだ、と疑いたくなる拙守。たけし軍団は大騒ぎだ。

中村監督は「みなさん、うまいですね。学ぶ点もあります。来年の秘策として取っておきます」と敗戦も意に介していないようだが、実はベンチでは憤然。「見事に2ランスクイズを決めたときはさすがに監督も怒ってました」とある選手は打ち明けた。

(中略)たけしも得意満面で「阪神より強いオレらは12位。阪神は13位だな」と言いたい放題だった。

2023年(令5)に圧倒的な強さを見せつけ、38年ぶりに日本シリーズを制覇した阪神タイガースにも、こんな時代があったのだ。

1991年11月23日、たけし軍団が阪神タイガースを破り、喜ぶビートたけし(中央)

1991年11月23日、たけし軍団が阪神タイガースを破り、喜ぶビートたけし(中央)

ミー野茂英雄、ケイ石井浩郎

ファン感謝デーに欠かせない仮装は、レベルアップの一途をたどる。

時を戻して1990年(平2)、近鉄のファン感謝デーでは藤井寺球場にピンクレディーが登場する。

ミーはルーキー野茂英雄、ケイは石井浩郎。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。