逗子海岸で読んだ「なぎさホテル」に救われた 伊集院静さんを悼む/連載21
作家の伊集院静さんが11月24日、肝内胆管がんのため死去しました。73歳。「機関車先生」「いねむり先生」などの優れた小説だけでなく、「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」などの作詞も手がけ、松任谷由実らのステージ演出を手がけるなど、幅広い分野で顕著な活躍をした方でした。立大の野球部にも所属していた伊集院さんは、大リーグで活躍した松井秀喜さんとも親交が厚く、著書にも数多く登場させています。松井さんの担当記者だった私は、伊集院さんとちょっとした縁がありました。
その他野球
ニューヨークの空港で
伊集院静さんとはニューヨークの空港で会ったことがある。手帳にメモが残っておらず、JFK空港なのか、ニューアーク空港なのか、それともラガーディア空港なのか分からない。ただ、時期は2003年(平15)の春先で間違いない。
この年から松井秀喜選手がニューヨーク・ヤンキースに入団し、私は担当記者として同行しており、同選手と懇意の伊集院さんも観戦に来ていた。
飛行機を待つロビーで、偶然にも近くに座っていたので、勇気を出して声をかけた。名刺を差し出し、松井選手を取材していること、そして数年前に伊集院さんから松井選手への伝言を預かったエピソードを話した。
巨人担当だった頃、よみうりランドにあるジャイアンツ球場で取材していると、文化社会部の記者から電話があった。
「松井選手は練習に来ている?」
「来ていますよ。今、練習の真っ最中です」
「終わったら、伊集院静さんに電話してほしいと伝えてもらえないかな? 山の上ホテルにいるから、ホテルに電話してほしいと」
了承して、練習後の松井選手に伝えると「ありがとう。今日会う約束をしているんですよ。あとで必ず電話します」と答えていた。
たった、それだけの縁だが、ニューヨークの空港で本人に披露した。伊集院さんの著書を愛読している私としては、あいさつだけで立ち去るのは惜しいような気がしたのだった。
「そうですか。それはお世話になったね。ありがとう」
伊集院さんは笑って、気さくに応対してくれた。その後も少し言葉を交わしたのだが、緊張していたのか内容は覚えていない。メモが残っていないのも私にしては珍しい。よほど気が動転していたのだろう。
それから数年後、ある元プロ野球選手の記事を書いたとき、もう1つの小さな縁が生まれた。
記事は、元選手が心に傷を負った過去の出来事を振り返る内容で、一見すると関係者を批判しているように受け取られてしまいそうだが、当事者に批判の意図はない。誤解を招かぬよう、そして、元選手の心情が正しく伝わるように何度も書き直して、工夫を重ねたつもりだった。
記事が掲載された夜、元選手から電話がかかってきた。
「作家の伊集院静さんを知っているよな。あの人が今朝の記事を読んでいて、おもしろかったと言ってくれた。飯島のこともほめていたぞ」
元選手から伝え聞いたところでは、その夜に銀座で飲んでいると、伊集院さんに会ったそうだ。次のような会話だったという。
「今朝の記事を読んだよ。とても、おもしろかった」
「ありがとうございます」
「君のコメントもいいが、あれは書き手がいいんだな。難しいテーマをうまく書いていた。その記者に御礼を言った方がいいよ」
元選手は普段から細やかな心遣いをする人なので、きっと実際よりも大げさに伝えてくれたに違いない。それでも、伊集院さんが記事を読んで、感想を口にしてくれただけで、私はうれしかった。数少ない私の自慢である。
欠点が魅力に思える
伊集院さんの著書を読むと、人の欠点が魅力的に思えてくる。
自伝的随想「なぎさホテル」(小学館)は、行き詰まり、先の見えない主人公(伊集院さん)が、ふと立ち寄ったホテルに7年余り暮らし、作家として歩み始める。
柴田錬三郎賞に輝いた「機関車先生」(講談社)は、幼少期の病気が原因で口がきけない先生と、瀬戸内海の小島に住む小学生たちの交流が描かれている。
野球好きの方々に、ぜひ読んでほしいのが「ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石」(講談社)である。
子規の青春時代を描いた作品で、野球好きだった子規らしく、「べーすぼーる」に興じる姿が出てくる。
物語の始まりには「ノボさんどちらへ? べーすぼーる、をするぞなもし」という小タイトルがついており、新橋アスレチック俱楽部が新橋停車場内内につくった日本初の野球場で「べーすぼーる」に興じる。
この場面は「明治二十九年九月」と書かれており、まだ「野球」という呼び名はない時代だった。
日本で初めてカーブを投げた平岡熙(ひろし)も登場し、子規をキャッチャーにして新球を投げるなど、日本野球が創成された直後の様子が、生き生きと描かれている。
子規が晩年、病気と闘いながら、自身が健康だった頃を思い巡らして「べーすぼーる」の短歌を創作する場面を読むと、子規の野球に対する愛情を感じるとともに、野球というスポーツの素晴らしさを再認識させられる。
「あなたに似たゴルファーたち」(文春文庫)は、さまざまな人のゴルフとの対し方が描かれた短編集である。この中に「23打」というタイトルの、何度ショットをしてもバンカーから脱出できない男の物語がある。ギブアップせず、最後にグリーンに乗せてパットを沈め、堂々と「23打」と申告する。その姿を見て、同僚は「こいつに付いていこう」と思うのだった。
「いねむり先生」「受け月」「浅草のおんな」「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」…松井選手が登場する「東京クルージング」。記憶に残る作品を挙げればキリがない。
人は誰も、常に順風満帆ではない。劣等感や閉塞(へいそく)感に悩み、苦しみ、自分が小さな存在に思えてしまうこともある。多かれ少なかれ、そんな思いを抱えて生きているものだと思う。
伊集院さんが描く物語を読んでいると、自分のダメな部分とも向き合いながら生きていこうという気持ちになれる。不思議な力が湧いてくる。
数年前、何をしてもうまくいかないと感じる時期に、「なぎさホテル」の文庫本を持って、物語の舞台である逗子へ行き、砂浜に座って読んだ。救われたような気がした覚えがある。
伊集院さんは11月24日、肝内胆管がんのため死去した。73歳だった。
心からご冥福をお祈りします。
◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)生まれ。横浜出身。93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。
コラム「手帳の余白」
日刊スポーツに「特別編集委員室」が立ち上がりました。取材経験が豊富、かつ表現力が豊かなライター集団。「日刊スポーツ・プレミアム」を中心に、健筆を振るいます。飯島智則編集委員は、コラム「飯島智則 手帳の余白」を随時掲載。どうぞお楽しみ下さい。

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。
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