【プロ同期】天理前監督・中村良二を驚かせたオリ中嶋監督「良二、オレな…」/特別編

高校野球の名門・天理で指揮を執った中村良二氏(57=大院大監督)が23年12月末で監督を退任しました。春夏の甲子園で2度チームを4強入りに導き、太田椋(オリックス)、達孝太(日本ハム)と2人のドラフト1位選手を育てました。近鉄、阪神でプレーした元プロ指揮官が驚いたオリックス名将の指導法とは…。特別編としてお伝えします。

高校野球

◆中村良二(なかむら・りょうじ)1968年(昭43)6月19日生まれ、福岡県出身。86年夏、天理の主将として同校初の全国制覇。同年ドラフト2位で近鉄入団。阪神に移籍した97年で引退。通算41試合、打率9分8厘、4打点。08年に天理大の監督に就任。14年から天理コーチ、15年秋から監督。17年夏に甲子園初出場で4強入り。21年春も4強に進出。主な教え子にオリックス太田椋、日本ハム達孝太ら。

太田椋が入団

アマ球界で指導者になる前、中村は近鉄、阪神でプロ選手として野球人生を送った。

1986年ドラフトの同期が、今のオリックス監督、中嶋聡だ。

中村は天理からドラフト2位で近鉄へ、中嶋は鷹巣農林(秋田)から同3位で阪急に入団。

中西太コーチ(右)の指導を受ける近鉄中村良二=1987年11月10日

中西太コーチ(右)の指導を受ける近鉄中村良二=1987年11月10日

上田利治監督から指導を受ける阪急中嶋聡(左)=1988年2月

上田利治監督から指導を受ける阪急中嶋聡(左)=1988年2月

同じユニホームを着ることはないまま現役生活を終えたが、

40代後半を迎えるころ、2人の縁がつながった。

18年ドラフトで、天理の主将、太田椋をオリックスが1位指名。

中村は太田をプロに送り出す側、中嶋は受け入れる側としての再会だった。

太田のプロ1年目の春季宮崎キャンプを訪ね、当時は2軍監督だった中嶋と腰を落ち着けて話すうち、

その発想に驚いた。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。