【金足農】昭和の名将・嶋崎久美が令和に指導するなら?/毎週水曜連載〈7〉

金足農(秋田)の元監督、嶋崎久美氏は、厳しい猛練習で全国の強豪に育て上げました。

しかし、令和の今に同じやり方は通用しないでしょう。

昭和、平成に名将といわれた嶋崎氏ならば、今の時代にどんな指導をするのでしょうか?

時代を越えて、指導のヒントを探ります。

高校野球

◆嶋崎久美(しまざき・ひさみ)1948年(昭23)4月5日、秋田・五城目町生まれ。嶋崎が中1の時に長兄を不慮の事故で亡くし、実家の農家を継ぐために金足農へ進学。現役時代は捕手で、甲子園出場はかなわなかった。1967年に卒業すると秋田相互銀行(現北都銀行)に勤務。1972年6月から母校監督に就任。1度の退任を挟み計34年間で春夏合わせて7度の甲子園に出場した。2012年から16年までノースアジア大の監督も務めた。

選手観察を重視

金足農を計34年間率いた元監督の嶋崎久美は、今も球場に足を運ぶ。スタンドから選手、そして教え子でもある監督の中泉一豊に声援を送る。

昭和から平成にかけ、猛練習で金足農を全国の強豪校に育て上げた嶋崎は、令和の今、まったく同じ方法が通用するとは考えていない。

「強い言葉もかけられないし、そういう面では今の指導者は大変でしょう。だけども、何かあると問題になるからって、指導者が指導しなくなってしまうと、それでは子どもたちは伸びていかないと思うんです。指導者として、熱意を持って生徒と接することが一番大事ということは、今も変わらないはずです」

1995年8月19日、準々決勝で星稜に敗れた嶋崎監督(右)は、次試合でベンチに入ったPL学園の中村順司監督とあいさつを交わす

1995年8月19日、準々決勝で星稜に敗れた嶋崎監督(右)は、次試合でベンチに入ったPL学園の中村順司監督とあいさつを交わす

朝から晩までの猛練習、度胸試しに遠征帰りの上野駅で歌をうたったり、夜中にラジオをかけたまま眠って集中力を高めるなど、一見すれば破天荒だが、嶋崎は指導の上で重視していたことがある。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。