【追悼・長嶋茂雄さん】数字を超えるインパクト 記憶に残る姿数々/物語のあるデータ

記録より記憶に残る選手といわれた。「燃える男」のプレーには、数字を超えるインパクトがあった。6月3日に亡くなった巨人軍終身名誉監督、長嶋茂雄氏の現役時代だ。1年目の開幕戦に3番・三塁手でデビューすると、その勝負強さで一躍時代のヒーローとなった。とんでもない珍プレーを演じても、逆に「なにをしでかすか分からない」と、ファンの視線を熱くした。「記憶に残るあの長嶋茂雄」を呼び戻した。

プロ野球

◆長嶋茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県生まれ。佐倉一から立大を経て、58年に巨人入団。74年に現役引退するまでMVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度を獲得し、「ミスター・ジャイアンツ」として球界最大のスーパースターとなった。監督は75~80年、93~01年の計15年務め、リーグ優勝5度、日本一2度。アテネ五輪日本代表監督として03年アジア予選は3戦全勝で五輪出場を決めたが、04年の本戦は病気のため辞退。88年野球殿堂入り。13年に国民栄誉賞。21年には野球界で初めて文化勲章を受章した。現役時代は178センチ、76キロ。右投げ右打ち。

止まらないサイクル超え

勢いづくともう止まらない。長嶋のバットが「サイクル安打」を超えたことがある。1959年5月3日の中日戦だ。最終打席は延長11回1死後、伊奈勉から6号ソロを放ち、8―7の勝利をもたらした。

「長嶋3投手に12塁打」の記事を掲載する1959年5月4日付日刊スポーツ

「長嶋3投手に12塁打」の記事を掲載する1959年5月4日付日刊スポーツ

4打数4安打2打点。3回に左中間二塁打、5回に中越え三塁打、7回に右中間三塁打と続けた。締めが決勝本塁打だった。2回に四球、9回にも四球を選び二盗、三盗まで決めた。

6打席すべてに出塁して5得点の2盗塁。2年目のジンクスなどどこへやら。打って走って勝利をもたらした。「あー疲れた。プロに入ってこんなに真剣で、しんどいの初めてです」。サイクル安打達成なら塁打数は10、その上を行く12塁打を稼いだ。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。