【日下匡力〈上〉】佐藤駿とともに世界の頂を目指す43歳指導者、その原点

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第20弾は、埼玉を中心に活動する日下匡力(くさか・ただお)コーチ(43)を取り上げます。

昨季のグランプリ(GP)ファイナルに出場した実力者、佐藤駿(19=エームサービス/明治大)を担当する指導者の人生とは-。

3回連載の第1回では、スケートとの原風景を描きます。(敬称略)

フィギュア

   

日下匡力(くさか・ただお)

1980年(昭55)1月27日、神奈川・藤沢市生まれ。3歳の頃に埼玉・三郷市に引っ越す。小学1年生でスケートを始め、3年生のころに「新松戸DLLアカデミー」で本格的な指導を受ける。東京・錦城学園高を経て日大。日大時代に全日本選手権へ2度出場。卒業後、恩師の浅野敬子コーチの下で指導者として活動開始。18年から父の転勤で埼玉へ引っ越してきた佐藤駿を指導。教え子の佐藤は19年ジュニアグランプリ(GP)ファイナル優勝。22~23年シーズンはGPシリーズ2大会連続表彰台。GPファイナル初出場4位。4大陸選手権3位。

スケートアメリカの演技前、佐藤駿とグータッチする日下コーチ

スケートアメリカの演技前、佐藤駿とグータッチする日下コーチ

愛娘がマギー審司を指さして

2023年10月26日の午前9時。フリース姿の日下が、埼玉県のJR上尾駅改札前で出迎えてくれた。

東京駅から北へ、在来線に揺られて約45分。駅近くの喫茶店に腰かけると、10歳近く年下の記者に向き合い「何時まででも大丈夫ですよ。何でも話します」と優しく声をかけてくれた。

名前の漢字は「匡力」と書いて「ただお」と読ませる。名付け親となった父は「助ける」という意味の「匡」に、名字とのバランスを考えて「力」を添えた。

人を救い、助けることができる、力(能力)のある人になってほしい-。

そんな願いの通り、リンク内外で43歳のコーチは他人を気遣う。関係者の多くが、その人柄をたたえる。

最近、こんなことがあった。

ある日、2020年4月に結婚した妻が教えてくれた。

「この前、マギー審司がテレビに出ていた時、画面を指さして『パパ!』って言っていたよ」

2人には2歳半の愛娘がいる。日下が家を出るのは早朝、帰宅は深夜になる。シーズンが本格化すると佐藤とともに、国際大会を巡り、家を空けることが多い。海外からのビデオ通話が日下にとっては「本当にかわいくて…」とこれ以上ない気分転換だが、娘にしてみれば大会の中継の「キス・アンド・クライ」か、ビデオ通話の画面でしか父を見ない。ついには風貌が似ている人気手品師を「パパ」と思ってしまったのだ。

「妻はスケートのことを理解してくれていて、何も言わずに支えてくれています」

取材当日も決して、暇を持て余していたわけではなかった。

前週末に佐藤とグランプリ(GP)シリーズ初戦のスケートアメリカに臨み、米テキサス州のアレンから帰国したばかり。一息つくことなく、木曜だったこの日も、早朝から練習した。午後からは群馬で教え子の指導。その合間を縫った取材だった。アイスコーヒーを片手に話し始めると、気づいた時には、まもなく3時間がたとうとしていた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。