2005年6月のテニス全仏オープンで、準優勝したマリアノ・プエルタ(アルゼンチン)が、ドーピング検査で陽性反応を示した。採取された検体から禁止薬物の興奮剤エチレフリンが検出された。03年にも筋肉増強剤の使用で9カ月の資格停止処分を受けていた彼に、国際テニス連盟は8年間資格停止の厳罰を決めた。25歳のプエルタの選手生命は断たれたと思われた。

ところが、この処分を不服としたプエルタは潔白を主張して、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴した。禁止薬物が検出された理由について「妻が薬を服用した時に使用したグラスで水を飲んだため」と事情聴取に説明した。非現実的で、苦し紛れの言い訳に思われたが、翌年、CASの下した決定は、資格停止期間を2年間に大幅短縮する異例の大甘裁定だった。

ドーピング検査で陽性反応を示したフィギュアスケート女子のカミラ・ワリエワ(ロシア・オリンピック委員会)の母と弁護士が、禁止薬物が検出された理由について「心臓病の薬を服用する祖父と同じグラスを使った」と、ロシア反ドーピング機関の聴取に主張したと報じられた。あのプエルタの説明と酷似するのは偶然だろうか。CASの判例をつぶさに調べて、抜け道を指南した者がいたのでは、との疑念もよぎる。

通常なら年単位の資格停止だが、CASの裁定により、15歳のワリエワは試合出場を許され、ショートプログラムで首位に立った。「16歳未満は要保護者にあたる」というのが理由。ただし、彼女がメダルを獲得した場合、恒例のメダル授与式は大会中には行わないという異常な事態になった。今後の調査次第では、ワリエワのメダル剥奪の可能性もある。それを念頭に置いたのだろう。

世界中から栄誉を祝福されるメダル授与式を奪われる、薬とは無縁のメダリストたちの心情を思うと胸が痛む。そして、自らの意思ではなく、第三者によって禁止薬物を飲まされていたとしたら、ワリエワもまた気の毒な被害者だ。消えてしまうかもしれないメダルのために、リンクに立つ15歳の心情は想像すらできない。調査はこれからだが、関与した大人たちの責任はあまりにも重い。

プエルタの話には続きがある。引退後の20年8月、彼は地元アルゼンチンのナシオン紙に、資格停止期間を軽減させるためCASに虚偽の説明をしたことを告白したのだ。実際にはコーチらが調剤した興奮剤を摂取していたという。違反を犯した当事者たちは一様に口が堅く、調査は困難を極める。真実が解明され、北京五輪のワリエワの成績が確定するのは、まだずっと先のことなのかもしれない。【首藤正徳】

公式練習で調整するカミラ・ワリエワ=北京(共同)
公式練習で調整するカミラ・ワリエワ=北京(共同)