スンス・ハン(31=米国)が7バーディー、1ボギーの66で回り、通算13アンダーの275でツアー初優勝を飾った。

 「1日を通して自信があった。ドライバーがとても良かった。パットも決められた」。前半だけで5バーディーを奪うなどスコアを6つ伸ばしてホールアウト。“クラブハウスリーダー”として後続の結果を待った。最終組の時松隆光(24)が同じ13アンダーで最終ホールに突入した時は「パー5の18番でボギーはない。プレーオフになる」と覚悟もした。

 時松がボギーとし、初Vを決めた瞬間、思わず感極まった。「アマチュアの時はいいキャリアだった。でも、プロになってからは試行錯誤の連続でうまくいかなかった。2年前には6カ月間、クラブを握らなかった。ちょうど子ども(長女)も生まれた頃で、その時のことを思い出すと感情的になった」と理由を明かした。

 生まれも育ちも韓国。父親の勧めもあって12歳でゴルフを始めた時、最高の環境を求めて渡米した。子どもの頃はスピードスケートのショートトラックの大会で優勝し、テコンドーは黒帯とスポーツ万能。芝の上でも早々に才能の一端を示した。02年には米国ジュニアゴルフ協会の大会で年間5勝をマーク。あのタイガー・ウッズ(米国)らが保持していた4勝の年間最多記録を塗り替えた。しかし、プロとなって挑んだ米下部ウェブドットコムツアーでは壁にぶつかった。アジア、日本にも戦いの場を求めたが結果が出なかった。

 15年には1度競技を離れた。「韓国の郊外に引っ越して。当時、妻は妊娠していた。めいっ子やおいっ子にゴルフを教えていたよ」。穏やかな生活を3カ月、4カ月と続けるうちにゴルフへの意欲が再燃した。再び日本ツアーの予選会を受け、1位通過を果たした。

 6月のツアー選手権森ビル杯で2位、9月のフジサンケイ・クラシックはプレーオフで敗れた。単独首位で最終日を迎えた2週前の三井住友VISA太平洋マスターズも3位。「何度も(優勝の)ドアをノックするところまではできていた。最後、そのドアを開くところだけができていなかった。何と言っていいか分からないけど、感動している」。元スーパーアマチュアは異国の地でプロゴルファー最高の喜びに浸った。