松山英樹(29=LEXUS)が、日本男子ゴルフ界の悲願を達成した。 日本人がマスターズに初挑戦した1936年(昭11)から85年、同じくメジャー4大会に日本人が初挑戦した1932年(昭7)の全米オープンから89年で、ついにメジャー優勝を勝ち取った。

松山の過去の実績を振り返った。

全国高校ゴルフ選手権個人最終日 男子個人の部を制した松山英樹と女子を制した青木瀬令奈は優勝杯を掲げ、笑顔を見せる 2008/08/09
全国高校ゴルフ選手権個人最終日 男子個人の部を制した松山英樹と女子を制した青木瀬令奈は優勝杯を掲げ、笑顔を見せる 2008/08/09

◆高校王者 明徳義塾2年の08年に全国高等学校ゴルフ選手権で優勝。09年のアジアゴルフチーム選手権でも頂点に。

アジア・アマチュア選手権最終日 優勝を決め、カップを手に笑顔を見せる松山英樹=2010年10月10日
アジア・アマチュア選手権最終日 優勝を決め、カップを手に笑顔を見せる松山英樹=2010年10月10日

◆アマのアジア王者 東北福祉大に進学した10年にアジアアマチュア選手権で日本人初優勝。翌年のマスターズ出場権を獲得。

第2ラウンド、ラウンド終了後、松山(左)を迎える東北福祉大ゴルフ部の阿部監督(共同)
第2ラウンド、ラウンド終了後、松山(左)を迎える東北福祉大ゴルフ部の阿部監督(共同)

◆マスターズでローアマ 11年にマスターズに初出場。予選も通過して27位で日本人初のローアマチュアを獲得した。

笑顔で優勝トロフィーを掲げる松山(撮影・中島郁夫)
笑顔で優勝トロフィーを掲げる松山(撮影・中島郁夫)

◆史上3人目 11年11月の三井住友VISA太平洋マスターズを制し、倉本昌弘、石川遼に続く史上3人目のアマでのツアー優勝。

◆日本人初1位 12年に世界アマチュアゴルフランキングで日本人初の1位にランクされる。

優勝カップを手に、笑顔を見せる松山(撮影・田崎高広)
優勝カップを手に、笑顔を見せる松山(撮影・田崎高広)

◆プロ最短優勝 13年4月にプロ転向を表明。同4月の2戦目のつるやオープンで最終日に逆転優勝。99年のJGTO(日本ゴルフツアー機構)発足後最短優勝。それ以前も含めると79年の中四国オープンをデビュー戦で制した重信秀人に次ぐ、81年の日本国土計画サマーズを制した倉本昌弘と並ぶ2戦目での優勝。

カシオ・ワールド・オープン(OP)・最終日 優勝で史上初のルーキーイヤー賞金王を決めた松山英樹は、トロフィーを手に笑顔を見せる(撮影・宮崎幸一)=2013年12月1日、高知・Kochi黒潮CC ボート賞金王決定戦 大外枠から田村だ/アミノミクス関連
カシオ・ワールド・オープン(OP)・最終日 優勝で史上初のルーキーイヤー賞金王を決めた松山英樹は、トロフィーを手に笑顔を見せる(撮影・宮崎幸一)=2013年12月1日、高知・Kochi黒潮CC ボート賞金王決定戦 大外枠から田村だ/アミノミクス関連

◆新人年間最多 プロ初年度の13年に4勝を挙げて、81年の倉本昌弘の最多記録に並ぶ。また史上初のツアー参戦初年度で賞金王となり、尾崎将司、伊沢利光に続く史上3人目の2億円プレーヤーになった。

6月2日、メモリアル・トーナメントで米ツアー初優勝を果たし、トロフィーを手に笑顔の松山(共同)
6月2日、メモリアル・トーナメントで米ツアー初優勝を果たし、トロフィーを手に笑顔の松山(共同)

◆米ツアー最年少優勝 14年から主戦場を米国に移し、5~6月のザ・メモリアルトーナメントで米ツアー初優勝。日本人では6年ぶり4人目で、22歳での優勝は最年少だった。

◆日本人最少ストローク 15年のマスターズで日本人歴代最少ストロークの11アンダーで単独5位に。

優勝杯を掲げ笑顔をみせる松山(撮影・下田雄一)
優勝杯を掲げ笑顔をみせる松山(撮影・下田雄一)
HSBCチャンピオンズ(ロイター)
HSBCチャンピオンズ(ロイター)

◆日本人初優勝 16年の日本オープンで国内メジャー初制覇後、米ツアーWGC HSBCチャンピオンズで日本人として初めて世界選手権優勝。