ゴルフの米男子ツアー、マスターズで松山英樹(29=LEXUS)が日本人初のメジャー制覇を達成した。

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小学生のころ、自宅の階段の踊り場に額縁が飾ってあった。その中に描かれていたのが、オーガスタ・ナショナルGCのホール図。ゴルフをしていた父が、どこからか持ち運んでいたのだろう。それが、僕にとってマスターズとの初めての“出会い”だった。

ゴルフを始めたのは中3の夏で、翌90年がテレビで見た初めてのマスターズ。美しいコースと、世界トップ選手のスーパープレーに、早朝からくぎ付けになった。最大の目的は、当時絶頂期だった尾崎将司の応援だったが、高い壁に跳ね返され、悔しい顔を浮かべていたのが忘れられない。優勝したニック・ファルドのプレーは、本当にビデオテープが擦り切れるほど何度も見た。中継が始まる際に流れる“主題歌”はカセットに録音して覚え、31年たった今でもアカペラで歌える(笑い)。テレビゲーム「遙かなるオーガスタ」も、友人と競い合うようにやっていた。「いつか行きたい」「プレーしたい」。15歳の少年にとって、マスターズはまさに夢の世界だった。

残念ながらゴルフの腕は上達せず、選手として訪れるのは幻になった。だが、あきらめの悪い僕は「日本人がメジャーに勝つ現場にいたい」と訴え、日刊スポーツ入社にこぎつけ、現役とOB含めて存命者ではおそらく弊社最多の6度もマスターズ取材に行かせてもらった。01年伊沢、09年片山と日本人最高位4位の活躍は見届けた。だが、優勝シーンは目の当たりにすることなく、12年にゴルフ担当を離れていた。

それから9年。ついに松山がやってくれた。最終日は早朝からテレビ観戦したものの、バックナインは栗東トレセンで競馬取材のため見ることはできなかったが、多くのSNS仲間が繰り出す瞬時の速報で一喜一憂。仕事が終わり、ようやくテレビで松山のインタビューを見た。

日本にいる子供たちへのメッセージを求められ、松山は言った。

「やっと日本人でもできるってことが分かったと思うんで、僕もまだまだ頑張ると思うんで、メジャーを目指して頑張ってもらいたいなと思ってます」。

この言葉を聞いた少年少女たちは、どれほど勇気づけられ、どれほど夢が広がったことだろう。ジュニアゴルフ経験者の僕は、思わず泣いてしまった。必ずや今日の松山のゴルフを見た子供たちの中から、次代の日本人チャンピオンが生まれるはずだ。

コロナ禍で生活様式が様変わりする中、密を避けて体を動かせるゴルフは人気急上昇中。松山の快挙は、人気に拍車を掛けることは間違いない。ゴルフ界にとっても、最高のタイミングでのマスターズ制覇になった。【01、03、05、07、09、11年マスターズ取材=元ゴルフ担当木村有三】