ラグビー・ワールドカップ(W杯)と4大会連続放送権を獲得した日本テレビの関係に迫る「W杯と日本テレビの深イイ話」第2回は、準備力。11年ニュージーランド大会でプロデューサーを務めた北川俊介氏(47)は、ラグビーファン獲得のために“営業マン”となって局内外を駆け回った。合言葉は「決戦は土曜日」だった。

11年のニュージーランド大会を振り返る北川俊介氏
11年のニュージーランド大会を振り返る北川俊介氏

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初中継した07年フランス大会で、日本は6大会連続で1次リーグ敗退した。録画の深夜放送で視聴率も良くなかったことから局内では11年大会の放送を巡り、賛否の声が上がった。北川氏は「世界的イベントをさまざまな事情で『やれない』はしょうがないが、『やらない』という選択肢はない」と熱く訴え、プロデューサーに任命された。

09年に19年W杯日本大会開催と16年以降のオリンピックで男女7人制の採用が決まり、追い風も期待した。「スポーツ中継は一朝一夕で結果は出ない。19年に向けて、人気回復の可能性も十分にある」。07年大会は放送するのが精いっぱいだったが、11年大会は「放送する責任を果たしたい」との信念を貫いた。

約3年の準備期間で“営業マン”も兼任し、「これ以上できない準備」を志した。日本代表の桜ジャージーなどラグビージャージーを10着購入し、着回して日々の会話のネタにした。ライト層向けに民放初のラグビー情報番組「ラグマヨ!」を制作し、積極的にツイッターなどのSNSでも情報発信。データ放送を用いて、文字にした「分かりやすいルール説明」も導入した。一方で、コア層向けに専門雑誌「ラグビーマガジン」にインタビューを掲載してもらった。

11年大会では日本戦4試合を含む全10試合を中継した。その中でも、9月10日土曜日午後6時(日本時間同3時)キックオフの初戦フランス戦を勝負の一戦と位置づけた。この時間帯の他局は再放送番組などが並び、絶好のチャンスだった。スタッフには「決戦は土曜日」と言い続けた。当時、過去10年間のラグビー中継の最高視聴率は、NHKが放送した05年1月の大学選手権決勝(早大対関東学院大)で7・4%。この数字を目標としたが、結果は3・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

ラグビー協会に飾られている国立競技場が超満員だった時の空撮写真
ラグビー協会に飾られている国立競技場が超満員だった時の空撮写真

8年後-。事業局に在籍する北川氏は、当時の「忘れられない思い出」を振り返った。足しげく通った日本ラグビー協会で毎回、1枚の航空写真を目にした。ラグビーが人気絶頂の頃、国立競技場が超満員に埋まっている絵だ。それは今でも飾られている。「絶対にあの時代を取り戻すという強い決意だと思う。ラグビーは奇跡を起こす力がある。4カ月後に再び、そんな光景が見られると信じている」。桜ジャージーからスーツ姿に変身したが、ラグビーへの情熱は変わらない。【峯岸佑樹】