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中大、山登り逆転V <第77回箱根駅伝> ◇2001年1月2日◇往路、東京・大手町〜箱根・芦ノ湖、5区間107・2キロ◇出場15校◇晴れ、気温4・2度、湿度54%(午前7時半、大手町) 激走の山登りを制した中大が、史上最小の8秒差で往路優勝を果たした。トップと1分10秒差の3位でタスキを受けたアンカー藤原正和(19=2年)が強風の中、西脇工の先輩、順大・奥田真一郎(20=3年)をかわし、5時間43分で逆転のゴールに飛び込んだ。最多14回の総合優勝を誇る名門も、往路Vは1964年(昭和39年)以来37年ぶり。復路に5年ぶりの総合優勝をかける。2位の順大は出雲、全日本に続く3冠を狙う。4区までトップを守った法大は、55秒差で3位につけた。 山登りの「本命」が、強風を突いてスパートした。中大・藤原はゴール芦ノ湖へ向かう下りに入ると、法大・大村、先を行く順大・奥田を一気にかわした。西脇工(兵庫)の1年先輩・奥田に抜き返されると、さらにその上をいった。残り1キロで再度抜き返してさらに加速。壮絶な競り合いに決着をつけて、逆転のゴールに飛び込んだ。 タイム差はわずか8秒。1989年(昭和64年)の第65回大会の往路V順大、2位・日体大の12秒差を下回る箱根史上最高のデッドヒートになった。標高差775メートルを駆け上がる5区山登りに、今年は役者がそろった。大村は法大史上初めて首位でタスキを受けた。29秒差で2位の奥田がスタート。続いて藤原がトップと1分10秒差で勢いよく飛び出した。 テレビ中継車もふらつくほどの強風が、選手の行く手を阻んだ。深く前傾姿勢をとっても吹き飛ばされそうになる。小田原の中継点から約12キロ、箱根小湧園付近まで順調だった大村の顔が、風でゆがんだ。中継車を風よけにする頭脳プレーで追いつき、前に出た奥田に対して、大村も踏ん張って16キロすぎに再逆転。下りの勢いを利用して10メートル以上突き放した。しかし、力尽きる。2人が競り合いの間に、藤原が猛スピードで迫った。昨年、1時間11分36秒の区間賞男は、メンバーから絶対の信頼を置かれていた。チームの合言葉は「山につなげ」。藤原はその期待にこたえ、ドラマチックな逆転劇を演じた。 早大時代、山登りのスペシャリストとして3度の往路Vを果たしたリクルート金哲彦監督は、5区の走り方をこう分析する。「よくコースを知っていること。跳びはねず、はいつくばって、ももを押し出す走りができること。そして精神的に耐えられるドロくさい選手がいい。藤原は、その走りができた」。昨年はひょうが降る中、5区で逆転した駒大・松下の走りが沿道のファンを感動させたが、今年の藤原はそれ以上の激走だった。箱根路は21世紀のスタートを見事に演出した。【佐藤智徳】 |
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