オレは亀、オレは一捕手-。捕手3人目となる2000安打を達成した中日谷繁元信捕手(42)が日刊スポーツに手記を寄せた。プロ生活のスタートから、球界屈指の捕手と評されるようになった「今」について。将来の「引き際」についても熱くつづった。

 こんな日が来るとは思わなかった。妙な感覚です。プロ野球に入ったときは2000本打とうなんてこれっぽっちも思わなかった。亀ですね。例えると。ゆっくり、ゆっくり。今思うとそうなのかな。いろんな人がいる。最初からパーンと出てダメになる人もいる。ボクは大した成績を挙げないけども、これくらいをゆっくりゆっくり来てる。

 オレはキャッチャーしかやったことない。だから、この数字がどうっていうのははっきり言ってピンと来ない。とにかく野球が好き。というか、必死に野球をやってきただけだから。

 プロに入った時は18歳。横浜(当時大洋)コーチ陣は本当に子どもをあやすようなもんだったと思う。福嶋さんに高浦さんに佐野元国さん。佐野さんはすごくユーモアがあって練習は厳しいんだけど、いろんな練習方法をやってくれたり。試合前でもキャンプでもつきっきりで、宜野湾から宿舎のある那覇まで15キロくらいを一緒に走ってくれたりね。いろんな練習方法を考えてきてくれた。

 5年目に大矢さんがバッテリーコーチで来て死ぬほどノックを受けた。宿舎やビデオ室に2人でミーティングをやったりね。ホントに一から教えてもらった。勘を養うということは常に言われた。よく言われたのが高速道路。今はETCだからそのまま通過できるけど、昔はチケット取ってお金払って、だった。瞬時にどこのレーンが一番早く空くか判断しろとよく言われた。

 街を歩いててもよく人を見るようにしてた。あの人こっちに行くな、いやこっちだなとか。エレベーターでも3つあったら、どこが一番早く空くか、常に考えていなさい。キャッチャーには洞察力が必要なんだってね。

 権藤さんには(横浜の)バッテリーコーチの頃からベンチで配球のサインを出してもらっていた。権藤さんならどう考えるんだろうって。いつも見てた。少しずつだけど権藤さんの考え方も分かってきたし、最後までこういう考えもあるんだって驚くこともあった。大洋に入団して中日では山田さん、落合さん、高木さんと10人以上の監督のもとでプレーした。運が良かったというか出会った人が本当に良かった。

 自分は野球が仕事で、キャッチャーというのが仕事。その結果がたまたま、ここまで来た。昔はあいつはキャッチャーには向いてないとか、いろいろと耳に入ってた。いつか見とけって思ってた。キャッチャーじゃなかったらここまでやってない。今は右に比べたら左の手のひらが5ミリくらい大きくなってる。ずっとボール受けてきたから。これがオレの仕事。これからも変わらない。

 もう1回、日本一になりたい。負けて悔しい。それが原点。ベテランと言われるけど、自分では40代になってから身体の変化をあまり感じない。ただ、何時ガクッと来るか分からない。心が折れるかもしれない。チームに必要とされなくなるかもしれない。その3つが重なったら、いや重ならなくてもどれか1つが出てきたら辞める時。そう思ってやっている。(中日ドラゴンズ捕手)