プロ野球コミッショナーや東京高検検事長などを務めた根来泰周(ねごろ・やすちか)氏が4日午前6時20分、肺がんのため、東京都渋谷区の病院で死去していたことが8日、明らかになった。81歳。和歌山県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

 根来氏は1956年京大法学部を卒業。58年の検事任官後、札幌、神戸両地検検事、函館地検検事正、法務事務次官などを歴任し、95年に退官。96年8月から2002年7月まで公正取引委員会の委員長を務めた。

 法曹界のエリートがプロ野球のコミッショナーに就任したのは04年2月だった。野球好き、大の阪神ファンだった根来氏は「最後のご奉公」と、球界が揺れ動いた激動の時代に身を投じ、リーダーシップを発揮した。同年、12球団側と日本プロ野球選手会が真っ向から対立。選手が史上初のストライキを決行するなどした球界再編問題の事態収拾に尽力した。その後も、野球協約の抜本的改正、コミッショナー事務局とセ、パ両リーグの3局統合など、時には周囲の強い反対を押し切って改革を断行した。07年1月に1期限りで退任したが、後任人事が難航し、代行職も務めた。

 その素顔も、歴代コミッショナーの中で異色の存在だった。法律家らしく、時に情に流されない厳しい裁定を下したが、庶民派で質素な生活を貫いた。NPBが用意したハイヤーの使用をかたくなに拒否し、赤坂の自宅から内幸町の事務局まで地下鉄で通勤した。出張の際も新幹線のグリーン席や、飛行機のファーストクラス席での移動を嫌い、全国どこへ行くにも自身で購入した普通席で移動した。

 神宮で阪神戦を観戦することも楽しみの1つだった。NPBからの招待券の提供も断り「金を払って見に行きたいんだ」と、外野席でひっそりと応援したという。秘書として4人のコミッショナーを支えたNPB総務部の秋田谷智子さんは「根来さんだけは、秘書らしい仕事は何もさせてもらえませんでしたね」と、懐かしんだ。