プレーバック日刊スポーツ! 過去の5月28日付紙面を振り返ります。2001年の1面(東京版)は右ひざ亜脱きゅうで出場が危ぶまれた千秋楽に強行出場し、優勝決定戦で武蔵丸を圧倒、22回目の優勝を飾った横綱貴乃花でした。

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 国技館が感動の拍手に揺れた。横綱貴乃花(28=二子山)が奇跡を起こした。前日14日目、大関武双山(29)に初黒星を喫した際、右ひざを亜脱きゅう。出場が危ぶまれた千秋楽に強行出場したが、結びで横綱武蔵丸(30)にあっさり敗れ、13勝2敗で並んだ。優勝決定戦、貴乃花の気迫が武蔵丸を圧倒。執念の上手投げで22回目の優勝を飾った。これまで強さ、記録で語られてきた貴乃花が見せた新たな一面。「新・貴乃花時代」の幕を開けた。

 

 武蔵丸 13勝2敗(突き落とし 0秒9)貴乃花 13勝2敗

 

 ▼優勝決定戦

  貴乃花(上手投げ 13秒2)武蔵丸

 

 顔はゆがみ、口から血の塊が飛んだ。まゆをギュッと引き絞った鬼の形相が、勝ち名乗りを受けた。まるで別人のように、貴乃花は土俵の上で感情をあらわにした。「何か今でもちょっとボーッとしてます。(優勝の)実感が分からないです」。22回も優勝を飾った大横綱が、支度部屋に戻っても冷静さを失っていた。

 まさに奇跡だった。右ひざ亜脱きゅうで、出場さえ危ぶまれた千秋楽。患部をテーピングで固定し土俵に上がった。だが本割は、3度も仕切り直しの立ち合いで集中力を奪われ、わずか0秒9、武蔵丸の突き落としにバッタリ倒れた。「やはりダメか……」。絶望的ムードの東支度部屋に一門の花籠親方(元関脇太寿山)、若者頭が飛んでくる。優勝決定戦が可能か、確認のため。貴乃花は即答した。「大丈夫です」。

 異様な静けさだった。柝(き)が入り、武蔵丸が西の花道に出た後も、貴乃花は支度部屋に5分近くとどまった。乱れた集中力を修正し、気の高まりを待った。本割で全く合わなかった立ち合いで、武蔵丸は見入られたように貴乃花の呼吸で立った。貴乃花がすかさず左上手を奪い、右を差す得意な形。武蔵丸が、右のかいなを返し上手を切りにきた瞬間を逃がさない。相手の力も利用した上手投げが、219キロの巨体を土俵にたたきつけた。

 壮絶な24時間のドラマだった。関節がずれた右ひざを日本相撲協会専属の中元皓希与(てるきよ)トレーナーが整復処置した。この日朝も病院でひざにたまった血を抜き、検査を受けた後、部屋に向かった。2階の大部屋に直行し、知人の治療師にマッサージを受けた。「エイッ、ヤーッ」。治療師の絶叫が部屋の外までもれ聞こえた。治療後、師匠の二子山親方(51=元大関貴ノ花)に変わらない決意を伝えた。「出ます」と。最終決断は正午前、場所入りまで2時間を切っていた。

 「(痛めた右ひざが)全く動かなかったわけではないんで」という。休場すれば本割、優勝決定戦と不戦勝で武蔵丸が優勝をさらう史上初の事態になった。足を運んでくれたお客さんもしらける。だが、強行出場でケガを悪化させれば……力士生命の危機も背負う。貴乃花は言った。「横綱としてというより、1人の力士としてやろうと思った。ひざがダメになったらという不安? そうなったらそうなったときですから」。

 腹をくくった決意のすさまじさだった。最後に吐き出した血も、相手との激突ではなく、仕切りで奥歯に力を入れ過ぎて口の中から出血したもの。激闘を物語るように貴乃花の左ひじ、ひざから血が流れ落ちた。「(取り口は)覚えてないんです」。本能だけが体を動かし、奇跡の優勝をたぐり寄せた。

 表彰式での優勝インタビュー。ケガの痛みを聞かれ「特にないですよ」と答えると、大きな拍手と歓声が沸いた。テーピングをせずに、横綱土俵入りを披露した。優勝決定戦で最初に塩を取りにいくとき、ガクガクと右ひざが小刻みに揺れた。ただ表情だけは変わらない。無表情。激痛を面に出さず、横綱貴乃花を演じた。内面に隠し続けた人間「花田光司」が爆発した。

 大相撲史に残る感動の優勝。「感無量です」。貴乃花にも格別な22回目の優勝だった。

 ◆貴乃花光司(たかのはな・こうじ)本名花田光司。1972年(昭47)8月12日、東京都中野区生まれ。88年春場所に、兄勝(元横綱若乃花)とともに初土俵。最年少記録を次々更新。92年初場所で、初優勝。94年11月に横綱昇進。家族は景子夫人(36)長男優一君(5)晏佳(はるか)ちゃん(1)。187センチ、157キロ。得意は、右四つ、寄り。