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記者コラム

サングラスを外した優作さんの神妙な表情

 日本テレビ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事役をきっかけにスターダムを駆け上がった松田優作さん。1973年(昭和48)に同ドラマにゲスト出演、個性的なキャラクターと演技力が評価され半年後にはレギュラー出演の切符を手にした。優作さんにマンツーマンで取材したのは芸能記者3年目の時だった。

 文学座出身の優作さんは演劇集団を立ち上げ、舞台は関根(現高橋)恵子をゲストに迎えて自主公演を打った。初日取材に行ったら、優作さんが出てきて「取材はダメだ、帰れ!」と追い返そうとした。「どうしてダメなのか」と粘る私は、優作さんと小競り合いとなった。同行したカメラマンがあわてて逃げ出すほど辺りは緊迫した雰囲気となり、結局、取材をあきらめた。それから2時間経過したころ、日刊スポーツ編集局が騒然となった。なんと優作さんが日本テレビ、文学座関係者らと編集局に姿を見せたのだ。

 「申し訳ありません」と謝る日本テレビ関係者。ジーパン刑事が全国的に注目を集めており、新聞で記者とのトラブルを報道されては降板問題になりかねないから必死だ。だが、私のアポなしの直撃取材もまずかったとの指摘もあり、会社として記事はボツにした。トレードマークのサングラスをはずし神妙な表情の優作さんをまだ覚えている。だが、優作さんはその後、週刊誌記者や予備校生を殴る事件を引き起こし謹慎生活。暴力事件で76年には懲役10月、執行猶予3年の量刑を受けた。

 感情を体でストレートに出す優作さん。普通のタレントなら芸能界引退という危機を迎えてもおかしくないが、優作さんは不死身の俳優だった。その後、「人間の証明」「最も危険な遊戯」「殺人遊戯」などの主演映画がヒット、渡哲也と共演した日本テレビ「大都会PART2」も好評でスターダムに返り咲いた。スキャンダルや事件を踏み台にしてジャンプ、すさまじい俳優魂を見せ続けた。

【日刊スポーツOB 小林秀夫】

 ◆小林秀夫(こばやし・ひでお) 1947年(昭和22)4月9日、山口県生まれ。慶大卒業後、71年に日刊スポーツ新聞社に入社。文化社会部には文化社会部には芸能、社会の記者およびデスクとして22年所属。その後、北関東支局、レース部、出版社、企画事業本部をへて08年に定年退職。現在はよこはま出版有限会社代表で編集、出版、イベント企画プロモーション、アーチスト育成などを手がけている。


優作さんの大きな手

 当時、アイドル人気絶頂だった薬師丸ひろ子と松田優作さんが共演したのは1983年、根岸吉太郎監督の「探偵物語」である。

 撮影中盤に現場を訪れた私には優作さんの取材以外にもうひとつ目的があった。大学進学直後だった薬師丸のプライベート“直撃”取材で、彼女の怒りを買ってしまった経緯があり、そのおわびである。

 撮影の休憩時間に、あの手この手で話し掛けようとするのだが、薬師丸は視線をそらせ、口を閉じたまま。「すっかり怒らせちゃったわけだ」。近くにいた優作さんはニヤニヤしながらあの独特なスイッと伸びた大きな手を顔の前で振った。まだ駆け出しとはいえ、大の大人が十代の女の子にしかとされる様子がおかしくてしかたがなかったらしい。

 結局、その日は薬師丸の怒りを解くことはできなかったのだが、「プライバシー」に泣く芸能記者に同情したのか、帰り際の取材で優作さんはちょっとした「お土産」をくれた。

 間もなく結婚することになる美由紀夫人は当時妊娠中だった。そのことについて聞くと「ええ、いちおう5月5日の予定ですよ」。あまり私生活については語りたがらなかった彼にしては珍しく即答だった。

 松田龍平はその予定日の4日後に生まれる。2年後には松田翔太が続いた。

 出演作品を見る度に思うのだが、龍平が醸し出す雰囲気は、ひょうひょうとしてちょぴり優しかったあのときの優作さんにそっくりだ。そして、目や手などのパーツは驚くほど翔太に受け継がれている、気がする。ギロッと鋭く、どこか悲しい目、袖口からスイッと伸びた手と指である。

 今でも優作さんで思い出すのは、何よりあの雰囲気となぜかあの大きな手なのである。

【編集局長・相原 斎】


神妙だった監督優作

 1986年、松田優作さんが36歳のとき、映画界では異例の”事件”が起こった。

 主演映画「ア・ホーマンス」の小池要之助監督が解任され、替わって主演の優作さんが監督を務めることになったのだ。

 小池監督は優作さんの主演映画の多くに助監督として参加し、同じ山口県出身ということもあって気の合った間柄のはずなのだが、原因は「製作方針の違い」ということだった。

 本来なら現場責任者の監督が残り、俳優が降板するのがスジなのだろうが、残ったのは存在そのものがすでにカリスマの域に達していた優作さんの方だった。「怖い人」のイメージも一段とアップしたのである。

 インタビューしたのは、その直後。取材場所の都内の喫茶店で優作さんは待っていた。腰を45度くらいに折って「よろしくお願いします」。こんな神妙な優作さんは初めてだった。ひょんなことから転がり込んだ「初監督」は重荷だったようだ。「オレ、日ごろ評判悪いでしょ。今回の作品がどんな風に評されるやら…」。

 本業の俳優とは勝手が違ったらしい。試写を見た後だったので、作品のテンポの良さに触れると、とたんにはにかんだ。口元をかすかに緩めた。優作さんを初めて取材したのはこの5年前くらいで、すでに”大物”。こんなはにかんだ表情を見たのは後にも先にもこの1度だけだった。

 以後、亡くなるまでの3年間、優作さんが演出の側に立つことはなかった。

【編集局長・相原 斎】


鮮明に蘇る記憶「お兄さん、学生さん?」

 圧倒的な存在感だった。自分の身体が、きゅーっと萎縮(いしゅく)していくような感覚に襲われた記憶が残っている。最初で最後、一度だけ会った松田優作の印象である。言葉で表現するのが難しい。それほど強烈だった。こうしてパソコンのキーボードをたたきながら、あの日の情景が鮮明に蘇ってくる。

 23年前。バブル景気がじわじわ膨れ上がり始めていた1986年の出来事だった。季節は覚えていないが、就職活動中だったので夏の終わりか初秋だったような気がする。私は、緊張の面持ちで大阪・梅田の繁華街、北新地の入り口にあった(もう解体されたらしい)東映会館を訪れた。

 その日は東映の2次だか3次だかの試験日だった。面接があるということで、映画館も入っているビルの上層階へと足を運んだ。面接担当官から「呼ばれるまで待っているように」と、20畳ほどの、さして広くない応接室に案内された。誰もいない。ソファに腰を掛けながら、待機していた。そこに突然、ドアノブを回して入ってきたのが、松田優作だったのだ。

 見上げるほどの長身。さっそうとGジャンを羽織り、パンツは細身の黒。蹴り上げられたら流血しそうなほど先細のブーツで、足もとまでバッチリ決めていた。タバコをはさむ長い指。どこから見ても、すべてが「松田優作」だった。15分間の短編映画のように、2人で過ごした時間は、今でも良き思い出となっている。

 主演であり、初の監督作品となった映画「ア・ホーマンス」の宣伝で大阪に来たということだった。

 「お兄さん、学生さん」。

 「ハイ、そうです」。

 「大変だねぇ、就職活動は」。

 大学5年生だった私は、少しだけ映画業界にあこがれ、ほとんどない採用枠に滑り込もうとしていた。東映だけでなく、東宝や松竹、にっかつ(現・日活)の試験も受けた。まさか試験日に松田優作と遭遇するとは…。面接の内容はまったく記憶にないが、会話の内容は断片的にだが覚えている。

 少しして、年配の女性が部屋に入ってきた。松田優作とは面識があったようで「おばちゃん、いつものやつ買ってきて」とお金を渡した。このビルの1階にあったたばこ店で購入したのだろう。外国産タバコを、その女性が2箱、届けた。さっそく火をつけた松田優作は、うまそうに紫煙を吐いた。何とも言えない甘い香りを漂わせて。当時、ハイライトを吸っていた私は、形状も見たことがない代物だった。

 「何ていうタバコですか」。

 そう質問したことは何となく覚えているが、その後は記憶が定かでない。ジタンというフランスのタバコであることは知ったが、それがその日なのか、後日なのかも覚えていない。
 しばらくして関係者が呼びに来て、松田優作は部屋から出ていった。

 「学生さん、試験、頑張って」と私に声を掛けて。

 「太陽にほえろ!」より、「探偵物語」が好きだった。私立探偵工藤がベスパに乗って走り回るTVドラマ。コミカルな刑事役の俳優成田三樹夫が、私の母校のドイツ語教授の弟だったこともあってか、このドラマは特に印象深い。時わずかにして、2人とも亡くなったが。
 結局、私は映画会社とは縁がなく、就職したのはスポーツ新聞だった。今でこそ、いろんな著名人に会う機会に恵まれているが、当時は学生で、希代の俳優と会えたことなど、ただの偶然だった。それだけに、私の中では永遠のヒーローという思いが強い。

 今でもそうだが、高円寺を訪れた時などは、不思議な感覚にとらわれたりする。「松田優作もこの商店街を歩き回っていたんだな」、と。

【スポーツ部・田 誠】



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