北朝鮮の平壌で、1980年(昭55)以来、36年ぶりに朝鮮労働党大会が開会した。報道によると、日本を含む世界各国から100人以上の報道陣を招きながら、肝心の党大会の取材をさせない状態が続いているようだ。「予測不能」といわれる半面、「決まった通りの行動」は重視すると北朝鮮だけに、もし、党大会の取材目的で招いたなら、「らしくない」なあと感じた。

 私は2002年、2004年の2度、小泉純一郎元首相の訪朝に同行取材し、平壌を訪れた。当時は、ほぼすべての日程が予定通りに進んだが、「予定調和」なところが逆に、面食らった面もあった。

 平壌での移動は(今回もそうだろうが)すべて、北朝鮮側が用意したマイクロバスだ。空港から、ホテルに到着した後、街の様子を取材しようとした時も、通訳兼任の案内担当者と一緒でなければ、外には出られない。何とか外出にはこぎつけたが、「散策」レベルのことしかできなかった。

 アポなしで、通りすがりの市民に取材しようとすると、案内員に制止されてしまった。一方、街の中心部では、「結婚した」というカップルの「団体」が、我々の前に突然現れた。案内員に「祝福してあげてほしい」と水を向けられ、声には出さなかったが、頭の中には「???」のマークが、いくつも並んだ。

 街の中心部にあるレストランでは、普通に市民が食事をしていたし、売店にもファストフードなどの商品が豊富に置かれていた。出発前、「飲み水を持参した方がいい」と助言され、2リットルのペットボトルを1本持っていったが、ホテルのプレスセンターに入ると、飲み物だけでなく、美しく盛られた果物や菓子が用意されていた。

 トイレに備えられていた、手を乾かす温風器は日本製で、土産店には日本メーカーの有名なお菓子や雑貨、衣類があふれていた。ホテル近くの焼き肉店では、お肉や冷麺もおいしく食べられた。04年の取材では、日本に帰る際、空港で「北朝鮮グッズ」を発見。金日成首席、金正日総書記の切手シートと、「金正日略伝」という、日本語で書かれた伝記本があった。

 当時、北朝鮮は深刻な物資不足だと伝えられていた。それだけに、イメージとは違う光景に多少の驚きがあった。ただ、我々報道陣の目に映る場所での「豊かさ」なのだと、何度も思い直した。北朝鮮が、「ショーウインドー国家」といわれるゆえんだ。だからこそ、ショーウインドーではない場所に行ってみたい、予定通りではなく、「予定外」の行動をしてみたい思いにかられた。2度とも、最後までできなかったが。

 あれから12年が経過した。街の様子は当然、ずいぶん変わっているはずだ。でも、報道を通じて目にした北朝鮮という国が、ナゾの国家であることだけは、変わっていないようだ。