【大谷昭宏】川勝氏の発言、記者たちは「一発退場」と思わなかったのか
第一報は読売新聞静岡版の囲み記事。強く批判するわけでもなく「再び議論を醸しそうだ」としていた。静岡県の新職員入庁式。「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に…[続きを読む]
元読売新聞記者で、87年に退社後、ジャーナリストとして活動する大谷昭宏氏は、鋭くも柔らかみ、温かみのある切り口、目線で取材を重ねている。日刊スポーツ紙面には、00年10月6日から「NIKKAN熱血サイト」メンバーとして初登場。02年11月6日~03年9月24日まで「大谷昭宏ニッポン社会学」としてコラムを執筆。現在、連載中の本コラムは03年10月7日にスタート。悲惨な事件から、体制への憤りも率直につづり、読者の心をとらえ続けている。
第一報は読売新聞静岡版の囲み記事。強く批判するわけでもなく「再び議論を醸しそうだ」としていた。静岡県の新職員入庁式。「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に…[続きを読む]
4月、このコラムは少しボリュームアップする一方、紙面の都合で今後は隔週掲載に。引き続きどうぞよろしく、と言いつつ、さてこの季節、希望に燃えて社会に新たな1歩を踏み出した方も多いことだろう…[続きを読む]
3月18日は、グリコ森永事件、私が社会部記者として最後の非常招集を受けた事件の発生から40年だった。全国紙では産経1紙が大きく検証記事を掲載していた。<キツネ目の男消えぬ残像>似顔絵は確…[続きを読む]
これは「奮闘」というより、「格闘」であり、「確執」の歴史なのだ。そんなことを考えていたら、2時間54分はあっという間だった。日本テレビ5日放送の番組を、少し長くなるが新聞のテレビ欄のまま…[続きを読む]
きょう3月11日は東日本大震災から13年。東海テレビの取材で久しぶりに訪ねた宮城県女川町は、元気を取り戻しつつあった。人口の1割近く、827人が犠牲となった町の中心部はJRの駅からズドン…[続きを読む]
◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)1945年(昭20)東京都生まれ。早大卒業後、読売新聞大阪本社入社。徳島支局、大阪本社社会部。大阪府警担当時には「グリコ・森永事件」を取材。その後、朝刊社会面コラム「窓」担当。87年、同社退社。読売時代の先輩の故黒田清氏とともに黒田ジャーナルを設立。現在は個人事務所でジャーナリズム活動をする。主な著書に「日本警察の正体」「グリコ・森永事件 最重要参考人M」など。