パラリンピアンの本音に迫ります。車いす競技から、5大会出場経験を持つバスケットボールの上村知佳(49)、2015年2月の東京マラソンを制した洞ノ上浩太(40)、08年北京大会から第一線で活躍するテニスの藤本佳伸(38=いずれもエイベックス)が登場。障がい者を取り巻く環境の現実から20年大会の成功とは? まで、熱く語り合います。【取材=荻島弘一、阿部健吾】
<障害は誰しも起きること 私たちは若いときに持っただけ それが早いか遅いかの 違いだけなんだと思うんです>
上村 私が初めて出場したのが88年ソウル大会。初めて五輪と同じ開催地で行われた大会でした。報道はNHKだけ。それも教育テレビでまとめて特集という形だったんですね。92年バルセロナ大会に出たときに日本の親にはがきを書いて投函(とうかん)したら、着いたのは帰国する2日前。ツイッターとかもない状況でしたから、報道もないので、何が起こっているか分からない。そんな状況でした。
洞ノ上 自分は08年北京大会から出ましたが、思ったよりメディアに取り上げられていると感じた。
上村 98年長野大会が一番の大きな転機。ウエアも初めて五輪と同じになったんです。00年大会で同じものを着て、責任を感じましたし、昔からの選手は泣きましたね。報道も増えて、ちょっと対等に近づいたかなと。
藤本 テニスはいま国枝慎吾さんや、女子では上地結衣さんが世界一になって取り上げられることが多いです。でも、これからは2番手以降にも注目してほしいですね。その中でも障害はいろいろと違いますから、過去ではなく、いま現在の自分、どんな障害でどれだけのことをやっているかを見てもらえれば、競技としてのすばらしさだけでなく、する上での努力も伝えることができる。
洞ノ上 やはり、どうしても「お涙頂戴」的な報道がほとんどになるかなと。受傷した背景は知ってもらえればもちろんいいと思うけど、それは全体の話の中で1、2割では。そっちがメーンになって、結局何番だったの? みたいな。もちろん、少しでも過去を知っていただければ、見ている方も障がい者スポーツの見方も変わると思うけれど。
上村 我々は何を見てほしいかというと、「いま」をみてほしい。確かに障害を乗り越えたのはあるが、実際問題として、障害は誰しも起きることで、私たちはただ単に若いときに持っただけ。年を取ったときに、介護が必要になる場合があったり。それが早いか遅いかの違いだけなんだと思うんです。
<「バリアフリー」が叫ばれている ただ、その言葉があること自体が 特別視をしていることでもあるのかな 言葉自体使わなくなる時がきてほしい>
上村 昔は駅員さんに「通勤の人でいっぱいなので、その時間には来ないで下さい」と露骨に言われたこともありましたよ。それに比べればだいぶ良くなってきている。ただ、もっと変わってほしい。
洞ノ上 自分は障がい者用の駐車スペースには止めないです。一般の人が止めていて、トラブルになることが多いから。
藤本 日本では空港も含めて罰則がない。車いすマークのカードがない人には貼り紙をされるだけ。米国ではマクドナルドなどのファストフード店でも車いすのスペースがあって、カードがない車があると罰金です。
上村 海外ではカードは申請した人でないともらえない。日本ではお店で買えてしまうので、なりすましで駐車する。
藤本 障がい者を乗せず、福祉施設の車で買い物にきているだけ、というのもありますよね。
洞ノ上 たまに「また止まってる」と思ったら、車いすで降りてきたり(笑い)。
上村 結局、トイレなどもそうですが、意識の問題だと思う。
洞ノ上 お金をかけて豪華なものを1つ作るというのもわかりますが、少し広めのものの数を増やすということも重要です。
上村 海外は一般のトイレに広いのがついていて、困った時には下からのぞいて「ヘルプ」と言えば、一般の人が助けてくれたりする。
藤本 ブザーを鳴らして、「紙ないです」とは言えないですね、逆に(笑い)。
洞ノ上 海外でブザーは見たことがない。行政も含めて、ちょっとした意識の問題だと思うんです。
上村 本当に意識って大きいです。カナダでは、一般の小学校で、重度の子も一緒に学んでいます。日本なら特別支援学校の対象となる子ですね。先生がつきっきりではなく、一般の生徒がその子に本を読んであげたりしている。日本だったら同じ学級にはしないことが多いと言ったら「なぜだ」と。カルチャーショックです。特別視するのではなく、違いも普通のこととして受け入れている。
洞ノ上 自分は受傷した後にテレビで聞いた「夢がないのも障がい者」という言葉に感動したことがあります。いま、「バリアフリー」という言葉が多く叫ばれています。それ自体は進んでほしい。ただ、その言葉があること自体が特別視をしていることでもあるのかな。海外のように、その言葉自体が使わなくなる時がきてほしいですね。
<僕たちの行動を変えることも必要 僕らが積極的に町に出ていって 興味を持ってもらうことも大事 できることは何でもしたいですね>
上村 いまバスケットの競技人口って減ってるんです、実は。
藤本 テニスは立派な競技用の車に乗っている小学生も増えました。
上村 テニス、アーチェリーなど他競技が増えてきて、そっちに流れていった分もあるけど、05年に障がい者自立支援法ができたことも大きいんです。医療費の関係で、脳卒中であろうと脊髄損傷であろうと、最長でも6カ月で退院です。その後は病院からリハビリテーションセンターにバトンタッチされるケースがほとんど。そこでは、日常生活を送れるようになることが目安になる。
洞ノ上 日本のリハビリのゴールがそこなんです。スイスでは病院施設内に脊髄損傷専門のリハビリテーションセンターがある。世界記録保持者が勤めてますが、敷地内に陸上競技場があって、大会もやってます。お昼にみんな練習をしている。病院という場所がスポーツを提供し、親しむ場所にもなっている。
上村 私は日常生活動作がしっかりできるまで1年入院期間があり、さらにリハビリで1年ほど。計2年入院したけど、いまは早く出されてしまい、生活で手いっぱいとなる。女性は男性ほど筋肉がないので、その後にスポーツと言ってもなかなか難しいし、スポーツをするという発想にならない。
洞ノ上 僕がよく言うのは「1人の選手が2人のパラ選手を育てよう」と。そのための意識を改革していくことが大事。20年が決まったから、必ず日本代表になれるとか、メダルを狙えるとか安易な発想ではなく、アスリートを輩出するんだと。
上村 どうやってリハビリからピックアップして競技レベルまで引き上げるかの体制作りを考えないと。そのためにはやっぱり意識が重要。パラリンピックを開催したけど、社会の仕組みは何も変わっていないのであれば成功とは言えない。逆に競技で成績が出なくても、日本全体が変わっていれば成功だと思う。競技結果を求めるのは20年からスタートでもいい。その意識が、社会が変われば選手は増えます。
藤本 僕たち1人1人の行動を変えることも必要。僕らが積極的に町に出ていって、人の目について興味を持ってもらうことも大事。できることは何でもしたいですね。
洞ノ上 自分が結果を出すことだけで満足するのではなく、環境改善のために何が出来るのかを考え、日々の行動に生かす。僕たちアスリートが先頭に立って考えていきたい。
上村 私たちはよぼよぼになってきている時かもしれないですけど(笑い)、何かをし続けないと何も変わらないですから。
◆上村知佳(うえむら・ちか)1966年(昭41)2月27日、石川県金沢市生まれ。中学では陸上部、高校ではハンドボール部。18歳の時に階段からの転落事故で脊髄を損傷。リハビリで車いすバスケットボールを始め、日本を代表するセンターに。88年ソウル大会から04年アテネ大会まで5大会連続出場し、00年シドニー大会では得点王、リバウンド王を獲得し、日本を銅メダルに導く。01年からは日本女子初のプロ選手として米国、カナダで活躍。16年リオデジャネイロ大会の出場権を争うアジア・オセアニア選手権(千葉)が10月に控える。
◆洞ノ上浩太(ほきのうえ・こうた)1974年(昭49)3月30日、福岡県飯塚市生まれ。25歳の時にバイク事故で脊髄を損傷。02年4月から知人の勧めで車いすマラソンを始める。08年北京大会では5000メートル、マラソンで5位、12年ロンドン大会はマラソン6位。11年にはフルマラソンの日本記録を樹立。15年東京マラソンでは9度目の挑戦で悲願の優勝を果たした。
◆藤本佳伸(ふじもと・よしのぶ)1976年(昭51)5月13日、徳島県鳴門市生まれ。高校生の時に器械体操で「フジモト」という技を開発中に鉄棒から落下して車いす生活に。23歳で車いすテニスを始める。08年北京大会はシングルス、ダブルス16強。2大会ぶりのパラリンピック出場を目指し、5月から16年リオ大会の選考会が始まる。好きな言葉は「不撓(ふとう)不屈」。
(2015年3月11日付本紙掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。



