リオデジャネイロ五輪陸上男子400メートルリレー銀メダルのケンブリッジ飛鳥(23=ドーム)が、東京五輪への成長ビジョンを語った。目標を100メートル「9秒8台」と「個人でのメダル」に設定。17年世界選手権ロンドン大会、19年同ドーハ大会を道しるべに、日本人では前人未到の境地へ進んでいく。リオ五輪メダリストインタビュー第4弾です。【取材・構成=益田一弘、上田悠太】


■漂う知的な風格


 私服姿のケンブリッジはシャツのボタンを一番上まで留めて、ネクタイを締めていた。ビシッと決めた姿からは、トラックを荒々しく疾走する姿と違い、やり手のビジネスマンのような知的な風格が漂う。400メートルリレー銀メダルを獲得したリオ五輪から3カ月。「アッという間でしたね」。3年半後に迫った東京五輪への思いを聞くと、明白なビジョンを語り始めた。

 「(9秒)8台に乗ってたら、すごくいいなというのがありますね。まずは9秒台を出してからですが、そこまでいきたい気持ちを持つのはすごく大事」

 穏やか口調で語ったが、掲げた数字は衝撃的だ。

 過去に自己ベストが9秒80以内の選手はボルト、ゲイら8人。金メダルを争うレベルだ。同9秒89以内の選手は31人。00年シドニー五輪以降5大会で、決勝進出の8人中7人が9秒台と超ハイレベルだった12年ロンドン五輪を除き、9秒87を決勝で出せば、数字上は銅メダルを獲得できる。

 ケンブリッジは勝負が優先される大舞台でも実力を発揮できるタイプだ。リオ五輪代表選考会を兼ねた今年6月の日本選手権で優勝。リオ五輪予選は自己ベストに0秒03差まで迫った。だからこそ自己記録更新の向こうにメダルを夢見ることができる。

 「リオが終わった直後は、4年後(の目標)はファイナルと思っていた。時間がたつにつれ、個人でメダルを取りたいと自然と目標が変わった。難しい目標にはなりますけど、ステージを1つ上がることで、難しくなるのは当たり前。メダルを目指した方がモチベーションにもなるし、やりがいをすごく感じます」


■大きい予選突破


 個人のメダル獲得。リオ五輪で100メートル準決勝敗退の立場では、厳しい目標にも思える。同種目において、日本勢は1932年のロサンゼルス五輪の吉岡隆徳以来、決勝進出さえない。

 前人未到の境地へ向かって、第1歩は刻んだ。リオ五輪の100メートル予選で、9人中自己ベスト9秒台が4人と厳しい組の中、10秒13の2着で突破。「大きかった。貴重」と手応えを得た。レースはライバルの姿が見えない大外9レーン。「全体が見えたわけではなかった」。苦手のスタートでは遅れた。ただ「(インレーンも)ぼんやり視界には入ってた。40メートルぐらいでいけるかなと」。後半に一気に加速し、まくった。最後は「余裕を持った形でフィニッシュできた」と横を見ながら、駆け抜けた。

 「(自己ベスト)10秒10ですけど、彼らが9秒台で走ったレースで一緒に走ってないから、一緒に走るまでは分からない。ここを突破すれば、9秒台を出せる可能性があると思ったら、楽しみでした。予選で感じたのは、どこに行ってもある程度、誰と走ってもいける。予選であの走りができたからこそ、準決勝の走りは納得がいかない。やり直しがきかないとも、あらためて感じました」

 自信は意識の変化をもたらした。「今年は記録への欲が強くなかった。走れない時期が長くて、(意識は)五輪参加標準記録(10秒16)を切るというところだった」。15年4月の織田記念で桐生を破って優勝。その後は左太もも裏など故障に苦しんだ。「1本走ったら、2本目は足が痛いという感じでした」。変わったのは今年4月の織田記念。山県に敗れたが「2本走っても、足に不安が残らなかった」と振り返る。


■世界陸上でまず9秒台


 メダルへの青写真も描けている。まずは、ロンドンで開催される17年世界選手権。「9秒台は出したい。ロンドンではしっかりファイナルに残りたい。可能性としては0ではないと思う」。19年の世界選手権ドーハ大会までが勝負と位置付ける。「ドーハではファイナルとかではなくて、メダル争いをしたい。予選や準決勝で落ちてしまったりしたら、20年にメダルは取れない。東京五輪でメダル争いするということは、ドーハでメダル争いすることとイコールだと思う」。

 残る時間は決して長くない。誰も見たことがない景色にたどり着くために、さらなる成長が不可欠。高レベルで練習できる海外拠点での練習も模索している。

 陸上短距離界は世代交代の時期を迎える。リオ五輪で100メートルでの史上初となる3連覇を達成したボルトは来夏の世界選手権での引退を表明。同五輪銀メダルのガトリンも34歳。「本当に顔触れががらっと変わる時期。そこで頭角を現したい」。引き締まった表情に強い決意がにじんだ。



■接触「やばい」バトン落としかける リオ銀の400メートルリレーを振り返る


 リオ五輪で銀メダルを獲得した400メートルリレーをあらためて振り返った。アンカーを務め、左隣にボルトがいた。50メートル付近。実はボルトと接触し、互いにバトンを落としかけた。

 「走りに集中していて、鮮明に覚えてないですけど、当たった瞬間は、『やばい』と思いました」

 第3走者の桐生からバトンを受けた瞬間、金メダルを獲得したジャマイカとほぼ並走していた。

 「もちろん隣はボルト選手と分かってましたけど、『これに勝ったら金メダルだ』というのが頭をよぎりましたね。本番にならないと、どこまでタイムが出るのかは分からないところですが、レース前からメンバーでメダルを取りにいくという話はしてました。僕自身もすごく調子がよくて、リレーに関しても手応えを感じていた。(個人の)予選でもメダルを取りにいけると自信をはっきりと持てるレースをできていた」

 金メダルが手に届くところにある―。そう肌で実感した日本人の短距離選手はケンブリッジ以外にはいないかもしれない。


■レース前に映画見て 桐生はYouTube


 レース前の舞台裏も明かしてくれた。「桐生はYouTube見て、笑ったりしてましたし、朝起きて暇だったので、僕はiTunesで映画『クリード チャンプを継ぐ男』を見てました」。同作は映画「ロッキー」シリーズの続編だが「ロッキーに教えられました。面白かった」と笑う。大舞台でもリラックスできる強みが、メダルにつながった。


 ◆ケンブリッジのリオ五輪VTR 100メートル予選では自己ベストに0秒03差に迫る10秒13で2着通過。準決勝はガトリン(米国)ブレーク(ジャマイカ)ら強豪がそろう組に入り、10秒17で7着。決勝進出はならなかった。山県、飯塚、桐生との400メートルリレーでは予選で37秒68のアジア新記録を達成。決勝は37秒60でアジア新記録を更新した。

 ◆ケンブリッジ飛鳥(あすか) 1993年5月31日、ジャマイカ生まれ。父はジャマイカ人、母は日本人で、国籍は日本。2歳で大阪に移住。小学校では6年間サッカーをプレーし、ポジションは主に右サイド。中学校から陸上を始める。東京高、日大を経て今春からドームに入社。13年東アジア大会の男子200メートル優勝。6月の日本選手権100メートルは10秒16で優勝し、五輪代表を内定させた。200メートルの自己ベストは20秒62。179センチ、79キロ。

(2016年11月30日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。

東京五輪でも活躍が期待されるケンブリッジ飛鳥。個人でもメダルを狙う
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