16年リオデジャネイロ五輪の競泳男子400メートル個人メドレー金メダルの萩野公介(22=東洋大)が、平泳ぎで2大会連続2冠の北島康介氏(34)からプロとしての心構えを伝授された。五輪後、北島氏が社長を務めるIMPRINT(インプリント)とマネジメント契約を締結。大学卒業の今春からは北島氏以来2人目のプロスイマーとして活動する。新春第1弾の金メダリスト対談で、3年後の東京五輪へ水泳に懸ける決意を示すと、北島氏から全面的なサポートを約束された。【取材・構成=田口潤、井上真】


■プロ1号競泳界レジェンドが同じ道選んだ後輩に金言


 対談には、社長業を務める北島氏と同様、萩野もパリッとしたスーツ姿で登場した。大学卒業後の今春から、プロスイマーになることを決断している。新年の服装に、覚悟が垣間見えた。

 萩野 もともとプロ希望はありましたが、無理だと思っていたんです。でもリオで金メダルを取ったことで、チャンスが生まれた。チャンスがあるなら、挑戦したいと。いばらの道だとは思いますが、東京五輪で良い結果を出すためにも、水泳をとことん突き詰めていきたい。そのためにも、北島さんと同じプロの道に進むことを決めました。

 北島 ハム(萩野のニックネーム)がプロを選択できるまでの力をつけて決意したこと。誰もがプロになれるわけではない。プレッシャーはあるだろうけど、それも力に変えてほしい。スイマーとして次に進むための決断。ハムならできると信じている。

 萩野 プロとして結果を出すことはもちろん、北島さんがやられてきたように、水泳の面白さをたくさんの人に伝えたいです。会場まで直接足を運ぶ人も増やせればと思っています。

 北島 全て良い結果を出すことは難しいよ。でも失敗することも次につながるからね。自分としてはハムがプロとして歩んでいける枠組みをつくる。そして水泳に集中できる環境を整えていく。

 萩野 平井(伯昌)先生から「今回は守りの五輪。攻めの五輪にしないとな」と言われたんです。前年(15年)に右肘を骨折し、マイナスからのスタート。良い時の状態に戻すことが前提でしたから。東京では攻めきって、複数の金メダルを取りたい。

 北島 守って金メダルだからすごいよ。右肘の状態も悪かったんでしょう。

 萩野 レース後は腫れてパンパンでした。30%くらいの状態で痛みもありました。

 北島 そんなに痛かったというのは知らなかった。メディアにも出なかったしね。

 萩野 (メディアに)言ってもしょうがないことですから。

 北島 俺だったら言っちゃうけど(笑い)。痛みにも正直みたいなね。でも、金メダルの400メートル個人メドレーのレース展開は完璧だったんじゃない。

 萩野 平井先生の指示がピタリと当たったんです。決勝前、最大の敵は(銀の)ケイリシュ(米国)で一致。ケイリシュは後半、得意の平泳ぎから上げて、そのままの勢いで最後の自由形を迎える。だから「自由形の入りの300~350メートルでスピードを落とさず、しっかり差をつけろ」と言われました。

 北島 ラスト50メートルでケイリシュが猛追してきたけど、それは想定通りだったんだ。

 萩野 十分に差をつけていたので、焦りはありませんでした。ケイリシュも見えていましたし、(決勝の)8人の中で一番冷静に泳げたと思います。楽しめました。

 北島 前年に骨折して、確実に金メダルを取れるポテンシャルがあるのはすごい。


■ケガの功名


 北島 自分は練習はだめで、低い状態から作っていく。だから状態が仕上がった時の、気持ちの盛り上がりは大きかった。でもハムは練習から強いし、普段のレベルが高い。振れ幅が少ない分、逆に試合でのプレッシャーは強かったと思う。

 萩野 そうなんです。レース前はいつも、不安材料をしらみつぶしに探していました。だから本番では守りに入り、練習のような泳ぎができないことも少なくなかった。でもケガをしたことで開き直れた。100メートル泳げるようになろうから始まって、レースに出られる体を作ろうと。少しずつの前進がうれしかったし、余計なことを考えることもなくなった。

 北島 ケガは無駄ではなかった。五輪後に右肘の手術をして休んだけど、リオ五輪前の経験があるから、焦ることもない。東京五輪に向け、この時期に手術をして良かった。


■北島氏の引退


 萩野 (昨年3月のスペイン)高地合宿では初めて同部屋で過ごさせていただきました。練習ではだれよりも一番追い込む。きつくても常に前向きで、苦しい顔を出さない。そんな水泳に対する姿勢を見られて、とても幸せでした。

 北島 けつをたたかれながらやらされてる時代もあった。でもキャリアを重ねる中で、自らを追い込むことで結果を残せてきた。(現役の)最後の方は、楽しみながら練習をしないと(心身ともに)続かなかったし、年齢を重ねるごとに、苦しい練習へのチャレンジが好きになった。

 萩野 (東洋)大学でもずっと一緒に練習してきましたが、あきらめたところを見たことがなかったです。

 北島 10歳以上も年下の選手と練習をしてきた。練習に背を向けたら、後輩たちがどう思うかとは考えた。一番きつい練習でも楽しくやれば、良い影響を与えられるかなと。

 萩野 闘争心も学びました。子供のころから自然と勝てた面があった。でも4年に1回の五輪ではそうはいかない。北島さんのように、相手をぶっ殺すほどまでいきませんでしたが、誰にも負けない、絶対勝つとの思いはより強くなりました。

 北島 闘争心とは、ぶれないことだと思う。決勝に出る8人全員に金メダルのチャンスはある。最後のタッチの瞬間まであきらめないやつが勝つんだ。

 萩野 (昨年4月の日本選手権で)引退された時は寂しかった。一緒に五輪に行きたかったですし。

 北島 リオ会場に入ったときは寂しかった。自分があそこにいたらなと考えたり。でも競技が始まると、怒濤(どとう)のように時は流れ、まじで出ないで良かったと思ったよ(笑い)。


■東京五輪


 萩野 個人メドレーはもちろん、平泳ぎ以外の自由形、バタフライ、背泳ぎも出たい。高いレベルの記録も出したい。リレーもあるし、金、金、金、金と何個か分からないが、頑張ってたくさん取りたい。

 北島 一緒に、もう1度水泳に携われるのはありがたい。練習場に行く機会、平井先生に会う機会も増える。ハムもそうだけど、平井先生の負担もうまく減らすことができれば。ハムと平井先生の話を聞いていきたい。ハムの挑戦をうまくサポートしていきたい。

 萩野 (北島氏の4個と自身の1個の金メダルをもたらした)平井先生と北島さん。最強ですね。

 北島 東京を目指せることは、うらやましい。だからこそ頑張ってほしい。ホームのパワーも感じられるだろうし、本当に楽しみだよね。

 萩野 北島さんのように、愛される選手を目指します。

 北島 ハムはマルチスイマー。僕と違って何種目も泳げる。何種目も出る。見る人は毎日楽しめるんじゃないかな。本人はしんどいだろうが、水泳の魅力が詰まっている。

 萩野 まずは今年の世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)で金メダルを取れるだけ取りたい。いろいろな種目で全力を尽くす。それが東京五輪につながると思います。


 ◆萩野公介(はぎの・こうすけ)1994年(平6)8月15日、栃木・小山市生まれ。生後5カ月で水泳を開始。2歳で15メートル泳ぐ。作新学院中―作新学院高―東洋大。中学時代は計29回も中学記録を樹立。現在も学童(小学生)記録2、中学記録10、高校記録5、日本記録4と計21個の国内記録を保持。12年ロンドン五輪400メートル個人メドレー銅。16年リオデジャネイロ五輪400メートル個人メドレー金、200メートル同銀、800メートルリレー銅メダル。177センチ、71キロ。


 ◆北島康介(きたじま・こうすけ)1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。東京・本郷高―日体大。5歳から東京SCで水泳を始め平泳ぎの選手として中学2年から平井伯昌コーチに指導を受ける。00年シドニーから12年ロンドンまで五輪に4大会連続出場。アテネ、北京と2大会連続で100メートル、200メートルの2冠。五輪で金4個、銀1個、銅2個のメダルを獲得。世界選手権は金3個、銀4個、銅5個。昨年4月に引退。


■身長 体重 干支 初金獲得時が同じ(取材後記)

 2人のコースケは共通点が多い。名前だけでなく、身長は178センチ、体重70キロもほぼ一緒。血液型はBで、干支(えと)もひと回り違いの戌(いぬ)年。水泳人生も同じ道程を歩む。初の五輪出場は高校3年、初の金メダルは大学4年の同じ2度目の五輪。そして金メダル獲得後にプロ転向を決意した。

 3度目の五輪は社会人4年目で迎える。北島氏は08年北京大会100、200メートルで2大会連続の金メダルを獲得した。20年東京大会を控える萩野にとって心強いデータ。昨春までは一緒に練習してきたが、今後も同事務所で密接な関係が続く。「水から上がったときに、どうスイッチを切り替えるか。これから水泳以外のことでも話をすることが増える」と北島氏。金メダルタッグに死角は見えない。【田口潤】

(2017年1月4日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。

北島康介氏(左)と握手を交わす萩野公介
北島康介氏(左)と握手を交わす萩野公介